『回る回る運命の輪回る3 君と僕と、未来の世界』44話(最終話)

そして、月日が流れた。

春がやって来た。
風は少しほこりっぽくてまだ冷たさを残しているけれど、日射しは暖かい。ウグイスが鳴いて、三分咲きの桜の枝から飛んでいく。
フランスに比べると、全然、暖かいな。
少し汗ばんできて、僕は羽織っていたカーディガンを脱いで、ぶらぶらと歩く。そうして、一軒の家の前で、足を止めた。
やっぱり、懐かしいな。
たった20ヶ月でって笑われるかも知れないけれど、でも久しぶりに見る我が家は懐かしかった。

父さんも母さんもベルギーに住んでいて、僕も学校の寮に入っているから、もう要らないと言えば要らないのだけど、でも結局、この家を売ることはなかった。
自分たちが日本に戻るときに住んでもいいし、いつか僕がもっと修業して自分の店を持てるようになったら改装してもいいし、というのが両親の考えだ。
石段を上って、玄関を開ける。
がらんとした部屋にはほとんど何も置かれていないけれど、でも、全然空き家だという感じはしない。アルバムや手紙といった、使わないけど捨てられないものもまだ置いてあるし、それにときどき奈々さんが空気を入れ替えに来てくれる。

背中で、クラクションが鳴った。
「こーへー!」
振り返ると、懐かしい笑顔があった。
「岩田くん!」
僕が階段を下りる前に、すばやく車を降りた岩田くんが飛ぶようにして階段を上って、僕を抱き締める。
久しぶりじゃんよ! 正月とか盆とかには帰って来るのかと思ったら、一回も帰って来ねえし! もう俺らのことなんか、忘れたのかと思ったぜ!」
「ごめん。でも、やらないといけないことが一杯あって」

専門学校の授業は、それはそれはハードだった。僕って結構、先に進んでるほうなんじゃないの? 小さい頃から父さんに教えてもらってたし、それにたくさんお菓子の作り方知ってるし。実を言うと、入学するまではそんな風に思っていたのだけど、でも実際は、それどころじゃなかった。新入生でもみんな基本的なことはきっちりマスターしていたし、センスもいいし、中には十年以上、独学で店をやってたけれど改めて都会の学校で学びたいっていう人もいたりして、僕なんかせいぜい、中の下ってところだった。
だから今は、授業だけじゃなく、夜遅くまで残ってただひたすら、練習につぐ練習の毎日だ。おまけに語学学校にも通っているのだけど、僕は語学のセンスがないらしく、どれだけ勉強しても、クラスの子にも同級生にも先生にも、しょっちゅうばかにされている。まあ、笑われてるって感じじゃなくて、可愛がられてるってニュアンスだから、いいんだけど。
 

そんなこんなで、毎日毎日、やることは山のようにあって、必死でなんとか今日を過ごしてる。でも不思議なことに、辛くはない。楽しい! って言いきれるかといえば、それはちょっと……って、首をかしげたくなるときもなくはないけど。
「ん?」
冷たいだのひどいだの友達がいがないだのと、大声を上げていた岩田くんが、怪訝な顔になる。
「なに?」
岩田くんは首を傾げて、僕の身体のあちこちを確かめるように叩きはじめる。
「こーへー、筋肉付いてねえ?」
「ああ……、結構、力仕事だから」
そうなのだ。生地をこねたり伸ばしたりかきまぜたり、十キロ以上ある鍋を洗ったり、こんなに身体を使ったことは、今までにない生活だ。
「そっかあ……」
岩田くんは感心したように言った。

「あ、そういえば、まだ、お祝い、言ってなかったね。おめでとう!」
僕の言葉に、岩田くんはきょとんとした顔になって、それからやがて、顔の前で手を振った。
「いや、まぐれだよ、まぐれ。ちょっと、ヤマが当たっただけ」
定時制の高校に行きながら建設の現場で働いていた岩田くんは、僕がフランスに行った少しあとぐらいから、猛然と勉強を始めた。なんでも、働いているうちに建築に興味が出てきたらしい。そうしてこの間、見事に大学の建築学部に合格した。
「でも、すごいよ。頑張ってるんだね」
「だって、負けねえって、言ったじゃん」
岩田くんは照れくさそうに、鼻の頭にしわを寄せた。
「あれは、合格祝いとか?」
僕は岩田くんが乗って来た車に目を遣る。明るいオレンジ色の乗用車だ。
「ああ、借り物、借り物。ほら、ちはるの晴れの日だろ?」
そう言ってはす向かいの家に目を遣ると、ちょうどドアが開いて、ちはるが行ってきます! と元気な声で行って石段を下りてくるところだった。奈々さんの力作なのか、髪はちょっと大人っぽい感じにまとめられて、そして胸元は、赤い造花で飾られている。

今日は、ちはるの卒業式だった。
ちはるが僕の姿を認めて、満面の笑顔になる。
「こーちゃん!」
スカートのすそを翻して、こっちに走って来る。
「ホントに来てくれたんだ!」
「だって、卒業生代表の挨拶、するんでしょ?」
うん、とちはるはうなずいて、顔を赤らめた。
「もう昨日から緊張して、どうしよう?」
「大丈夫だよ、ちはるなら」

ちはるは1年間、見事に生徒会長の仕事をやり遂げた。その評判はなかなかのもので、下級生にはすごく人気があったという。特に、腰までの長さの、ほとんど金色の髪をした副会長を後ろに従えた姿は、伝説的ともいえる人気だったと、里見や大竹が教えてくれた。きっとこの後、もっと詳しい話を聞かせてくれるだろう。
「じゃあ、そろそろ、行くか?」
岩田くんが車を示すと、
「え、ユウくん、これ、どうしたの?」
とちはるが声を上げる。
「せっかくだし、これで送ってやるよ」
「ホントに? なんか、すごいね。外国の卒業式みたい」
「ねえ、ちょっとだけ、いい?」
僕は2人の話に割り込んで、言った。
「ん、なに?」
「少しだけ、家の中、見たいんだ。ちょっと取ってきたいものもあるし」
僕の言葉に、岩田くんは時計を確かめてから答える。
「ああ、道も空いてたし、五分ぐらいなら大丈夫」
「ごめんね、すぐ戻る!」
そう言って、僕は再び家の中に入った。

靴を脱いで玄関を上がって廊下を進む。
そこにあった襖を、からりと開けた。
昔、ノアちゃんが使っていた客間。家具は何もなく、がらんとしている。
僕は畳に座りこんで、窓から庭を眺めた。取ってきたいものがあるっていうのは、嘘だった。
あれから、ノアちゃんとは会っていない。電話もメールも、なにもなかった。ノアちゃんだけでなく、あかねさんや五十嵐さん、ソサエティの人たちからの連絡もなかった。僕が運命に影響を与える存在、イレギュラではない以上、それは当然のことだった。
ときどき、不思議に思うことがある。あの時間のことは、本当にあったことなのかなって。
あの時間はまるで夢を見ているようだった。
運命に介入する秘密組織の工作員と、ごく普通の高校生が過ごした時間。
僕はもう高校生ではないし、秘密組織と関わりを持つこともない。もちろん僕が未来を見ることもない。
ただ、ときどき、ぼんやりと

――カスタードクリーム、フルーツ、チョコレート。甘い匂い。
オーブンが鳴る。中のお菓子を取り出す。これで一息。僕はほっと息を吐く。「ありがとうございました!」店のほうから女の子の弾んだ声。春から雇ったバイトの子。明るくて元気で少しおっちょこちょい。
「マスター!マスター!マスター!」女の子が連呼する。マスターは恥ずかしいから止めてといっても聞いてくれない。オーナー? 店長? パティシエ? どれも変です。いつもそう答える。それで結局、マスターになる。
「さっき、すっごい美人のお客さん来たんですよ!」「へえ」厨房を出て、適当に答える。あれ? なんだかすごく、売れてる。
「本当にモデルさんみたいにきれいでしたよ」
エクレアも売り切れ?
「ハーフっぽい感じで」
ショコラも? フルーツのタルトも?
「それでたっくさん、ケーキ買って行ってくれて」
おかしいな。
「それで、最後にマカロンもって言われて。それで、受け取ったマカロン、その場でぱくって口に入れて。そしたら、今まですっごい美人さんだったのに、顔がほわわ~んって、猫にまたたびって感じになっちゃって」
え?
「それもすっごい、可愛くって! 最後に、ありがとうです、って。やっぱり日本語ちょっとヘンだったから、ハーフなのかな……って、マスター!」
僕はもう聞いていない。店を飛び出す。左右を見回す。見つけた。長い黒髪が揺れる。彼女が、振り返る――

見えることがある。
これが未来に起きる出来事なのかどうか、僕には分からない。
けれども。
「こーへー! まだかー!」「こーちゃーん!」
表から声が聞こえる。
「ごめーん! すぐ行くー!」
僕も叫び返して立ち上がる。
僕は信じている。
僕と、君の、未来の世界を。

回る回る運命の輪回る。

                 完


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