プロフィール

兵庫県神戸市出身、とあちこちで言っていて、実際に自分の意識としてもそうなのだけど、本当は生まれたのは祖母の家があった枚方市の産院。当然その頃の記憶はない。後に一緒に住むことになるこの祖母は戦前、大阪の堀江で小学校の先生をしていた徳の高い人で、九十九まで生きた。

神戸で住んでいたのは保久良山と呼ばれる山の斜面にへばりつくようにして建つマンション。毎日急な坂道を上ったり下ったりして暮らしていた。北が山で上るほう、南が海で下るほう、という土地で育ち、のちの方向音痴の素地が作られる。

小学校、中学校、高校と、やはり坂道を上ったり下ったりしながら、漫然と毎日を過ごす。国際基督教大学という大学に進学して、東京に。東京では大学の敷地の中にあった寮で自堕落に生活する。校舎まで走って二分、という環境では、自堕落になろうと思えばどこまでも自堕落になれるものである。

卒業後、社会の荒波に揉まれ、かの有名な「住所不定無職」の人となる。もぐりこんだ編集プロダクションで、ここも半年ほどで辞めたのだが、知り合った人からライターの仕事をもらうようになり、「フリーライター」という肩書きの名刺を作る。我ながらいかがわしい。

文章は下手ではないという自覚はあり、小説というものを書いてみたいな、と思ってはいたものの、実際に書いては途中で放り出したりしながら、十年ほどふらふらと生き、ある日、このまま為すところもなく人生が終わってしまうかも、と気付く。それからまずしたことは書きかけになっていた小説を仕上げることだった。

目に付いた新人賞に片っ端から応募するという生活を五年ほど続けた2010年の秋頃、アスキーメディアワークスという会社から、「あなたが応募した原稿、落選したけど本にしてみませんか」という電話があり、2011年から波乃歌という名義で電撃文庫から二冊、メディアワークス文庫から一冊本を出す。ちっとも売れず。

同年、新潮社という会社から「あなたが応募した原稿、受賞しましたよ」という電話があり、水沢秋生という名前で新潮エンターテインメント大賞という賞をもらう。『ゴールデンラッキービートルの伝説』という本を出す。それからまあ、色々あって、今に至る。