『回る回る運命の輪回る3 君と僕と、未来の世界』30話

完全に頭が混乱していた。
なんで、綾野さんがここに? もしかしてこの間みたいに腹話術師さんに操られて連れて来られて……、いや、そしたら正木さんの車から降りてくるのは変だ。だったら、正木さんが? なんで? なんのために?
「師匠、あの人、誰ですか?」
「あの、えっと、1年生で、僕の後輩の……」
ノアちゃんに言いながら、それでも僕の頭は混乱したままだった。
そうなんだよな? 僕の後輩の、綾野萌さん。帰国子女で、身体が弱くて四月に長く学校休んで、それで、日本の文化を研究したいって文研に……。

綾野さんは、にこにこっと笑って、こちらに歩いてくる。まだ固まったままの正木さんを追い越して、僕のすぐ前で再び、頭を下げる。
「ごきげんよう」
「あ、綾野、さん……、だよ、ね?」
僕はようやく、絞り出すようにして尋ねる。
「そう。私は綾野萌です」
僕たちの背後で、またしても、ばち、と火が爆ぜる音がした。どこか大きな柱が折れたのか、枯れ葉を踏むようなくしゃりという音がして建物が崩れる。傾いた夕日が、綾野さんの顔を照らす。
「でも、ソサエティの方にはこうも呼ばれております。ユニティの腹話術師」
「腹話術師、って……」
僕に、ソサエティの嘘を教えてくれた、ユニティに協力してくれといった、そして、リーさんが刺し違えた、腹話術師……? その人は、背後の燃える洋館で炎に包まれたはずじゃ……。
「あの方は、私のお人形さんです」
僕の心を見透かしたみたいに綾野さんは言って、ふふふ、と小さく笑った
「ソサエティがマークするほどの大物が、こんな小娘じゃ、締まりませんから、いつも私の代理を務めてくださってました。私も気に入りのお人形さんだったのですけれど、こんなことになって本当に残念です」
「人形って……、じゃあ、最初に僕と腹話術師さんが会ったとき、君は操られてたフリしてただけなの? 本当に操ってたのは、君のほうだったってこと?」
僕が言うと、綾野さんは当り前のようにうなずいた。

「そうです。だって、いきなり一緒に来てくれって言ったら、お逃げあそばしたかも知れませんでしょう? でも先輩、お優しいから、後輩が人質に取られて、その上で一緒に来いって言われたら、断れないでしょう?」
そこまで言ってから、綾野さんは、思い出したように、ああ、と声を上げた。
「こちらも私の、お人形」
ぴっと細い指を上げる。同時に、口を開いて静止したままだった正木さんの身体が、糸が切れたように崩れた。
「この方、野心の強い方でいらっしゃって、そういう方を操るのって、すごく簡単ですの。私がなにもしなくても勝手に動いて、先輩たちを追いこんでくれた。操ってて楽しいものでは、ありませんけれど」
「なんで……、そんなことを?」
「私のお人形さんがご説明したじゃないですか」

そう言うと、綾野さんはいまだに煙を噴き上げる屋敷のほうに目を向けた。その目には、なぜか深い哀しみが宿っているように見えた。
「腹話術師は私でしたけれど、ご説明したことはすべて、本当のこと。改めて、野島先輩にお願いします。私たちに、協力してください」
「なに言ってるですか! 師匠はユニティになんか……」
ノアちゃんが言って飛び出しかけたときだった。
綾野さんが、また指を立てて、それをまっすぐノアちゃんに向けた。
「え……?」
ノアちゃんの身体が、一歩前に踏み出したまま、固まった。
「乱暴なことは、なさらないで? 私、ただお話がしたいだけですの。野島先輩とだけでなく、あなたとも」
「ノアには、あなたみたいな慇懃プレイな人と話すことなんてないです!」
今ここでそんな、言い間違えを……。
「なんてお呼びしたらいい? ノア先輩? ノアさん? ノアちゃん? やっぱり、ノアちゃんかしら?」

なんだか居たたまれなくなったけれど、でも綾野さんはそんなことはどうでも良かったらしく、静かに微笑んだまま、一歩、ノアちゃんのほうに近寄った。綾野さんからは学校で見るような、少しおどおどした気配が消えて、大人っぽい雰囲気が漂っていた。まだぱりっとした制服を着ていても、入学したての一年生とは思えない。もしかしたら、僕よりも年上なのかもしれないと、少し思った。
「ノアちゃん、あなたは、どう考えてらっしゃるの? 自分がソサエティの計画のために、造られた存在であることを。そしてこの先、あなたたちはソサエティのために、引き裂かれることを?」
「引き裂かれるって……?」
ノアちゃんの目が見開かれる。
「経験者が言ってるのだから、まちがいありませんわ?」
綾野さんは静かに言った。
「経験者……?」
「ねえ、野島先輩。前に申し上げたでしょう? 私もイレギュラだって。そのときは私の口から申し上げたわけではありませんでしたけれど、あれも本当のことなんですの。私も、イレギュラなんですの」

そう。最初に腹話術師さんと会ったとき。確かに聞いた。
自分もイレギュラだって。
「私がソサエティに見つけられたのは、11歳ぐらいの頃でした。やっぱり、偶然にソサエティの介入作戦の中に入り込んでしまって、それで身柄を確保されそうになって、でも上手く行かなくて。と言っても自覚なんてないんですけどね?」
分かるでしょう? というように、僕を向いてまた微笑む。
「それで、私にも、監視の工作員が付くことになったんです。ずいぶん年上の、おにいさんでしたの。最初はあんまりその人のこと、好きじゃなかった。私、子供の頃におとうさん死んじゃって、ずっとおかあさんと二人だったから、なんだか慣れなくて。でも、ちょっとずつ、ちょっとずつ、仲良くなったんですの」
綾野さんは、ちょっと遠い目をしていた。心の中の大切な記憶をそっと撫でるような、優しい、暖かい声。
「勉強教えてくれたり、悪戯して怒られたり。私が、好きな人できたかもって言ったら、すごくあわてて、おかしかった。隣のアパートに下宿してる、絵を習ってる学生さんが、私の才能を見つけて家庭教師してくれるっていう設定で、おかあさんとも仲良くなって、まるで、家族みたいだった」
そして綾野さんは、そっと目を閉じた。しばらくそうしていたあと、自分を落ち着かせるみたいに、ふうっと細く長い、息を吐く。そして目をつぶったまま、続けた。
「ずっと、こうやって、みんな一緒にいられたらいいなって、思いました。でもそうは、なりませんでした」

また、背後で大きな音がした。館の一部が崩れたようだけれど、僕は目を閉じて語る、綾野さんから目が離せなかった。それはノアちゃんも同じだったようで、大きな目を見開いて綾野さんをじっと見つめている。
「私、ハイスクールの校外学習で、隣の州にある国立公園に泊まりで出かけてたんです。適当な口実を作って彼も一緒だったけど、夜になって、急に、帰るって言い出したんです。今までそんなふうに私の傍を離れたことなんかなかったから、どうしたのって聞いても、大丈夫って言って……。なにが起きたか知ったのは、翌日のニュースでした。私の住んでいた家が放火されたって。焼け跡から、私のおかあさんと、身元不明の男性の遺体が、見つかったって。そのあと、私の監視を引き継いだ工作員に聞き出しました。ソサエティは、私の家が放火されてお母さんが死ぬの知ったのに、私には何も教えてくれなかった。でも彼は、命令に逆らってでもお母さんを助けようとして、間に合わなかったって。その新しい工作員の人は、変えられるはずもないのに、運命を変えようとして命まで落として、馬鹿なやつって、鼻で笑ってた」
そう言うと、綾野さんは目を開いた。そこにあった凄絶な光を見たとき、僕の背中に冷たいものが走った。嫌悪、憎しみ、殺意。

僕がほとんど経験したことのない、強い感情がそこに凝っていた。
「私、そのときに決めたんです。復讐してやるって。私の大事な人を奪った運命に。それから、それを知りながら何もしなかったソサエティに。私の手で、運命を書き換えてやるって」
綾野さんがまた一歩前に踏み出した。
「私は、自分の能力を磨こうって思った。ご存知でした? イレギュラの能力は色々あるけれど、どれもすべて、運命に干渉する力なんです。私は、私の大事な人の勇気を鼻で笑った工作員を最初の人形にすることに決めた」
そうして綾野さんは冷たい目で足元に転がっている正木さんを見下ろした。
「自分で自分のことを賢いって思ってる人ほど、使いやすい人形になるんですの。自分は自分の意志で行動してるんだって、思い込んでしまうから。この方が出世してからは、ずいぶん楽になりました。ソサエティの作戦行動から機密情報まで、色々持ってきてくださって、助かりました。でも、私もときどきユニティの情報を流したお陰で、この方も出世したんですから、おあいこですかしら」
と、綾野さんは顔を上げて、今度は真剣な目で、ノアちゃんの顔を見つめた。
「あなたなら、どうしたかしら? 野島先輩の大事な人の命が失われそうになったって知ったら。助けに行った? それとも、やっぱり規則を守って鼻で笑う?」
「ノアは……」
綾野さんの問いかけに、ノアちゃんは口ごもる。

それに構わず、綾野さんは続ける。
「あなたは、野島先輩が大事な人を失って悲しんでいても平気? それでも、ソサエティに従う? あなたの人生を弄んだ、そしてこれからも、弄び続ける、ソサエティに? それでも、いいの?」
綾野さんの口調は静かで問い詰めるようなものではなかったけれど、でも、いい加減な答えを許さない、張りつめたものが潜んでいた。
ノアちゃんは瞳を揺らせながら、まるで綾野さんの視線に耐えかねるように、そっと俯いた。
しばらくその様子を見つめていた綾野さんは小さくため息をつくと、すでにほとんど燃え落ちてしまった洋館をちらりと見遣った。
「野島先輩が腹話術師だと思っていたあの方は、昔、ソサエティの工作員だったんです。それで、大事な人をやっぱりソサエティに見殺しにされた」
綾野さんの目に、痛みに似たものがよぎった。
「私のお人形さんに、進んでなってくれた。ソサエティへの復讐だけが、彼の生きる糧だったから。野島先輩、分かるでしょう? あのとき、私がちはる先輩のこと、教えなかったらどうなってたか?」
口の中に広がる苦みを感じた。
間に合わなかったとはいえ、あそこに駆けつけることが出来たのは、腹話術師さんの、ユニティのおかげだ。
「ソサエティなら、もっと早く、正確な情報を野島先輩に教えられていたでしょう」

大切な人を傷つけられる哀しみ、怒り、恐怖。
僕もそれを知っている。
「野島先輩。あなたはすごく強い力を持ってる。私と、先輩がいれば、本当に運命を書き換えられるんです。あなたは、特別な存在なんです」
そう言うと、綾野さんは右手を伸ばして、そっと僕の頬に触れた。つい、と親指で、こびりついていた血を拭う。
「あなたの力、未来が見える力は大きすぎる。どんどん、力が強くなってるのが、分かるでしょう? 今までより先まで見えたり、ほんの少し前の出来事まで見えたりするんじゃないですか?」
綾野さんの言葉に、僕はびくりと身を震わせた。
そうだ。さっき感じた違和感。
僕は自分で見えるはずのない映像、ポケットの中で起爆装置のスイッチを入れる、リーさんの手の動きまで、見えた。
今までなら、そんなこと絶対、あり得なかったはずなのに……。
「先輩、力の使い方、分かってないでしょう? このままだったら、壊れちゃいますよ? 力のコントロールをまちがって、死んじゃったり、その力を丸ごと失くしちゃった人、たくさん知ってます」
綾野さんは、べたりと血の付いた指を僕の前にかざした。
「私も、最初は同じだったから、分かります。イレギュラの力って、暴走するんです。先輩の中には、運命に干渉するどころじゃない。運命を完全に変えてしまうぐらいの力があるから。だって、先輩の力は、先が見えるだけじゃないんでしょう? 選ばなかった運命の先に、足を踏み入れることができる力なんでしょう? 起きてしまった出来事を変えることができるぐらいの力なんです。
 私だったら、力のコントロールも教えてあげられる。今よりももっともっと、特別な人にしてあげられる。先輩が大切にしたい人、みんな守れるんですよ? 先輩がなりたいような人になれるんですよ? したいことも、全部できるんですよ?
ソサエティの人は、私たちの大事にしているものを守る手伝いなんか、してくれませんよ?
ソサエティはなにもしてくれない。
守りたいものがあるなら、守る力があるなら、大事な人は自分で守るしかないんです」
じっと僕の目を見つめたまま、綾野さんは言った。
「七日後の朝、迎えに行きます。それまでに私に協力するか、ゆっくり考えておいてください。そんなことはないと思いますけれど、もし私の申し出を断った場合、野島先輩、大事なものを失う覚悟、していてください」

                                 つづく

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