『回る回る運命の輪回る3 君と僕と、未来の世界』28話

「あなたは……?」
「しがない、ソサエティの元工作員さ」
リーさんの言葉に、眉をひそめていた腹話術師さんの顔に、理解の色が浮かんだ。
「ほう……? 顔を変えられましたか? お目に掛かるのは、確か、2度目?」
「そう。前は、逃げられたな。ただ今度は……」
言いかけたリーさんの顔が、がくりと後ろに仰け反った。何かの発作でも起こしたように、身体が突っ張り、首筋に血管が浮かぶ。
「前も、こうでしたね? 向かい合ったら、私には敵わないと思い知ったのでは?」
そう言いながら腹話術師さんが、つい、と指を一本、突き出す。それに反応したようにリーさんの両手が上に持ち上がる。
腹話術……!
「浩平くんを迎えに来たのだが、ここであなたに会えるなんて思っても見ませんでした。まだ、彼を追って?」
「ああ……。俺はな、根に持つタイプでね……。もちろん、お前のことも、忘れちゃいねえ……!」
苦しそうにあえぎながら、リーさんが口を

――ドアが閉まる音。轟音。背中を押される。前にのめる。黒い煙。ガラスが吹き飛ぶ。立っていられない――

痛みを感じる前に、熱い塊がせり上がって来て、僕は思わず顔を抑えた。

――ポケットに手が入る。「待ち人来る」「来客中かな?」小さなスイッチ。握る。押し込まれる――

どくん。
心臓が大きく一拍鳴って、抑えた手の間から血が溢れる。
「師匠!」
ノアちゃんが腕を回して、危うく倒れそうになった僕を支えてくれた。
「……どうした? 体調でも?」
いきなり大量の鼻血を出した僕を、腹話術師さんが怪訝な顔で見ている。
「おいおい、こっちの話はどうなった? 油断してたら、痛てえ目みるぜ」
震える声で、それでも笑いを含んで、リーさんが言った。
「よお、身体の弱いお子様は置いといてよ、こっからは大人の話し合いといこうじゃねえか? お前だって、人殺しの現場を青少年に見せたくはねえだろ? 俺と同じで、よ」
からかうような口調で言うリーさんを、眉をひそめた腹話術師さんが軽く睨みつける。
「さあ、お嬢ちゃん、イレギュラを表に連れ出してやんな。これからは大人の時間だ」
ややあって、腹話術師さんもうなずく。
「まあ、それがいいだろう。その意見に、私も賛成だ。見ていて余り、気持ちのいいものではないからな。しばらく外で待っていてくれ給え」
腹話術師さんが顎で出口のほうをしめした。しばらく戸惑ったようにそれぞれの顔を見ていたノアちゃんは、やがて気遣わしげに僕見て、それから表に連れ出そうとした。

でも、その手を押さえて、僕は言った。
「リーさん……、どうして……?」
「ふん、また見えたのかよ」
身体を強張らせたまま、リーさんは、ふん、と鼻で笑う。
「嫌になるぜ。よお、勘違いすんな。お前のためじゃねえんだよ。俺のためだ」
さっさと、行け。
リーさんはそう言うと、再び眼球だけを動かして腹話術師さんを見た。
「さあて、どうしてくれる? このつまんねえ人生の決着を?」
「苦しませはしない。楽にしていれば、すぐに、終わる……」
その声を背中で聞きながら、僕たちは表に出た。
「師匠、見えたって……」
「ノアちゃん、走って」
「え?」
僕たちの背後で、洋館の扉が軋みながら、閉じて行く。
「いいから、早く!」
僕はノアちゃんの腕を取って、つんのめるように走り出した。きっとなにがなんだか分からなかったろうけれど、でも僕の声に何かを感じたのか、すぐに僕が引っ張られる形になった。

そして、轟音が響いた。
爆風に背中を押されて、思わず前に倒れる。首筋にちりちりと凶暴な熱の気配がする。僕をかばうように背中に手を回してくれたノアちゃんが息をのむ。
でも僕は振り返らなかった。
振りかえらなくても、僕は何が起きたのかを知っていた。
さっき、僕の頭の中で見えた光景。
爆発する洋館。火柱が噴き上がって屋根が裂ける。黒煙が館を包みガラスが砕ける。伏せる僕たちの身体の上を嵐のような熱風が通過する。
もう数秒、遅れていたら僕たちも巻き込まれていたかもしれない。そうしたらきっと、火傷どころじゃ済まなかっただろう。
「大丈夫……、ですか……?」
「うん……」
どういう仕掛けだったのか、爆風はあっと言う間に収まって、ノアちゃんに助け起こされながら、僕はようやく立ち上がった。
きな臭い匂い。木材がぱちぱちと爆ぜる音。僕たちが数日を過ごした洋館は夕方のオレンジの空を背景に黒い煙に包まれて、あちこちから炎を上げていた。特徴のある三角の屋根はもうほとんど吹き飛ばされて原形をとどめていない。

ふと地面を見ると、爆風に吹き飛ばされたのか、銀色のものが転がっていた。
半分溶けた、知恵の輪。
「ノアちゃんも、怪我は……?」
僕の言葉に、ノアちゃんはうなずいて見せた。
地面に倒れたときに出来たのだろう、頬には少しの擦り傷があって、髪も乱れていたけれど、大きなけがはしていないようだ。
僕は改めて、洋館の立っていた場所を見遣った。
リーさんが身体の中に仕込んでいた爆弾。向かい合ってしまったらどうしようもないと分かっていたのだろう、腹話術師さんがやって来たそのときにはもう、リーさんはポケットの中で起爆装置のボタンを押していたのだ。
運命ってのは絶対に正しい。
そう信じていたリーさんにとっては、運命を書き換えようとするユニティは、許せない存在だったにちがいない。
あの爆発では、リーさんも腹話術師さんも、恐らく助からないだろう。目を凝らしてみても、炎と煙のほかには、動くものは見つけられない。
 

……ん?
なにか小さな違和感が頭の隅をよぎる。
なんだ、これ……?
今までとちがう、奇妙な感じが……。
そのとき、何かに炎が引火したのか、ぼん、と音がして、小爆発が起きて、あわてて僕は顔をかばった。
屋根を支えていた柱が折れたのか、ぎぃぃぃ、と音を立てて館が傾く。
突然の幕切れに呆然としながら、不意に思った。
ソサエティとユニティ。
結局、僕には、どちらが正しいのか、分からないままだった。どっちも間違っていたし、どちらも正しかったようにも思える。

でも、リーさんには、僕もノアちゃんにも何も教えず、そのまま僕たち全員を道連れにすることもできたはずなのに……。
「師匠……」
気が付くと、ぐっとノアちゃんが僕の右袖を引いていた。
ノアちゃんの視線の先、森の間を抜ける一本道の向こうで、何かが夕日を受けて光っていた。それは少しずつ大きくなりながら、こっちへ近づいてくる。
車だった。
白い、どこにでも見かけるような乗用車。
その車は一本道をまっすぐこっちへ向かっていた。やがて僕の目の前に停車して、ドアが開き、運転席から男の人が降りてくる。
一瞬だけ、ノアちゃんの気配が緊張して、諦めたような吐息が聞こえた。

                           つづく

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