『回る回る運命の輪回る3 君と僕と、未来の世界』27話

ソサエティの中でも、運命に対する考え方はいろいろあるらしい。運命を絶対視し、それを乱す不確定要素は即刻排除すべきと考える急進派もいれば、運命を乱す要素であっても過激な行動は避けるべきだという穏健派もいるという。そして、その急進的な考えを持つ人たちを“宿命派”、穏健な人たちを“運命派”と呼ぶ……。
「久しぶりじゃねえか。ずいぶん、探したぜ」
目の前に立っている男の人は、見たことのない顔をしていた。
細い目とずんぐりとした鼻、バランスの悪い口。すごく記憶に残りにくい顔をしたこの人が誰なのか、でも僕には、すぐに分かった。
「リーさん……」
かつて僕の命を狙った宿命派の殺し屋。僕を消去するために様々な仕掛けを巡らして、僕だけでなくノアちゃんにも重傷を負わせた。

あの時、崩れてきた体育館の屋根の下敷きになったはずだけれど、でもその遺体は見つからず、今でもソサエティによる捜索が続いているはずだ。
リーさんは、薄く笑ってから、手の平でつるりと自分の顔を撫でた。
「色々いじくってな。どうだ、なかなか、似合ってる面だろ? まったく、お前と関わってからちっとも退屈できねえ」
「どうしてここが……?」
「俺にも友達……、じゃねえな、色々とツテがあってな。おまけに、ソサエティの中がバタついてるだろ? そういうときってのは、情報が集めやすいもんだ。というわけで、久しぶりで会えて、嬉しいぜ?」

最悪だ。
たぶん、そんなに簡単にあきらめるような人ではないって思ってたけれど、でも、最悪のタイミングだ。
もしかして、リーさんはずっと、こうやって僕とノアちゃんがソサエティから距離を置く状況を、ずっと狙っていたのかもしれない……。
「師匠!」
すばやく駆け寄ってきたノアちゃんに、襟首を掴まれて、ぐいっと後ろに引っ張られた。
「下がって!」
俊敏に、僕とリーさんの間に割って入る。そのときにはもう、片手には小さな拳銃が握られていて、その銃口はまっすぐリーさんに向いている。
「おいおいお嬢ちゃん、相変わらず物騒だな、ええ?」
でも、リーさんはのんびりとした口調で言った。
「心配すんなよ。お前さんたちとやり合おうと思ってるわけじゃねえからよ。ほれ、この通り、丸腰だしよ」
そう言うと、リーさんは両方の中指でスーツの上着を引っ掛けて開いて見せる。確かに、ホルスターに入った拳銃があるわけでも、ケースに納められたナイフが下がっているわけでもない。だからと言って、全然、油断はできない。この人の怖さは、弾丸や刃物なんかではない。催眠術やトラップ、どんな仕掛けをしてくるのか、想像もつかない。

ノアちゃんの背中にも、緊張がみなぎっている。なにしろ、工作員としては技術も経験も、ノアちゃんより遥かに格上なのだ。
「俺はお前を排除しに来たわけじゃねえ。ま、したくねえわけでも、ねえけどな」
リーさんの口調は、あくまでも落ち着いていた。
「師匠……」
ノアちゃんもじりじりと後退して僕の横に来て、ささやく。
「信用しちゃ、ダメです」
「おいおい」
まだ銃を突きつけられているというのに、リーさんはそんなことを意にも介さないといった様子で苦笑する。
「じゃあよお」
緊張どころか、むしろ退屈そうな声。
「撃ちたきゃ、撃てよ。22口径でも頭の真ん中に当たりゃ、致命傷だよ。この距離なら、外さねえだろ。あのな、俺はな、死にてえわけでもねえけど、生きててえわけでも、ねえんだよ。死んでねえから仕方なく生きてるだけで、な。撃ってくれても、一向に構わねえぜ?」

困惑したように、ノアちゃんが僕に視線を向ける。
「一体、なにをしに……?」
僕の言葉に、リーさんはにやりと笑った。
「立ち話もなんだ。中に入れてくれねえか。茶を出せとは言わねえからよ」
 ――そして五分後、僕たちはキッチンにある丸テーブルに座っていた。僕たちの間はもちろん等間隔でなく、僕のすぐそばにノアちゃん、そして、その向かいにリーさんが座っている。それぞれの目の前には湯気を上げるコーヒーのカップがあった。さすがに、お菓子を添える余裕はなかった。
「いい香りだ。コロンビアだな?」
リーさんの言葉に、僕は黙って首を振る。なにしろ、そこら辺にあった粉で淹れたものだ。豆の種類なんか、分かるわけがない。
でも、リーさんも僕の顔を見て、唇を歪めた。
「そんなことを聞いてみても、俺には味も匂いも、分かんねえけどな」
「……風邪、ですか?」
そんな馬鹿なことを尋ねた僕がおかしかったのか、リーさんは今度は小さくではあったけれど、はっきりと笑った。
「まあ、風邪みたいなものかもな。この十年近く、ずっと引きっぱなしの風邪だ。味覚も嗅覚も、俺にはねえんだ。俺の世界には、味も匂いもねえんだよ」
「味覚も嗅覚も、ない……?」
「ああ。俺も昔は、人並みに、味も匂いも、分かったんだがな。20年以上、血と膿と硝煙と土煙、そんな匂いばっかり嗅いでたもんで、いつの間にか、消えちまった。この建物、どんな匂いがするんだ? 教えてくれよ、イレギュラ?」
リーさんはテーブルの上に転がっていた知恵の輪を弄びながら言った。

「あの、ええっと……、コーヒーの匂いと、それから木の匂いと、なんだか分からないけど香ばしいような……」
とりあえず、鼻をくかくかさせて、拾った匂いを伝えてみる。でも、それほど特徴的な匂いはしない。
「ふん。いいな。覚えとけよ、イレギュラ、俺に言わせりゃな、そいつは幸せの匂いってんだぜ?」
僕の言うことを聞いてカップを置いたリーさんは、がっちりとした輪がたくさんついた、金属製の知恵の輪を引っ張ったり、回したりしている。
そのうちのひとつが、外れた。
僕の隣に座るノアちゃんは、じっとその挙動を見守っていた。テーブルの下に置かれた手は、まだ拳銃を握ったままだ。
「ソサエティの人間になる前、俺はずっと傭兵やっててな。随分、えぐいもん、見させてもらったよ。ただ、戦場って場所は意外とのどかなんだよ」
僕らを油断させようとしてるんだろうか? これもなにか、リーさん独特の仕掛けの一部なんだろうか? そう思いながら、でも僕はリーさんの話に釣り込まれる。
「延々とやって来るかどうか分かんねえ敵を待ったり、お互いの位置が分からなくてうろうろし続けたり、駆けつけてみたら大事なところはとっくに終わってたり、そういうことが大半だ」

リーさんは知恵の輪をいじりながら、軽く肩をすくめた。
「前にも言ったな。俺は退屈を愛してる。何も起こらない、何も変わらない、ただただ真っ白な世界。それが俺の理想だ。だから俺は、イレギュラが嫌いだ。あらかじめ予定されてた運命を乱す、なんのために存在するのか分からないお前らが、気味悪りいし、怖い」
そう言ってから、リーさんが知恵の輪から外れた輪をまたひとつ、放りだす。がらん、と重い音を立てて、テーブルの上に転がる。
「知ってるか? 知恵の輪ってやつは、外す順番が大事なんだ。正しい順番で、ひとつずつ、外して行く。そうしなきゃ、全部は外れねえ。この世界だって、同じだ。ひとつひとつ、外して行く。それが秩序ってものだ。外れるものには外れる理由があるんだ。仮に、よ。輪っかをどんどん足して行ったら、どうなる? 待ってるのは、混乱だけだ」

リーさんは2つ目の輪っかを外し、またテーブルの上に放り投げた。その目は、以前と同じように穏やかな狂気をはらんでいる。けれど同時に、なにか透明なものも宿っているように思えた。
「運命ってのは絶対に正しいんだよ。苦痛も困難も悲劇も必ずあるべき理由があってそこにあるんだ。そうでなきゃ、誰がこんな世界、生きて行く? 俺はな、運命の決めた可能性を、信じてるんだ。他のやつらと信じ方は違うかもしれねえが、俺なりの信じ方で、な」
ち、とリーさんが短く舌打ちをする。
外れやしねえ、そう言って、まだ複雑に輪の絡み合う知恵の輪をがらりと放り出す。
「俺はお前も嫌いだが、輪っかを足して行くような連中は、もっと我慢ならねえ。そうやって幼稚な正義を振りかざして輪っかをくっ付ける連中が、結局、退屈を世の中をぶっ壊すんだ」
リーさんが何を話しているのか良く分からなかった。でもなんとなく、分かったこともある。

なぜだか分からないけれど、リーさんは少なくとも今、僕らに危害を加えるつもりではないこと。そして、この人はこの人なりのやりかたで、“運命”と闘ってきたこと。
「で、だ。俺がなんでこんな、下らねえ話をだらだらしているかというと、だな」
リーさんは視線を入り口のほうに向けた。
と、まるでそれが合図だったみたいに、扉が開いて、背の高い男の人が姿を現した。
「待ち人、来る」
そう言ってリーさんはにやりと笑った。
「来客中、かな?」
「いやいや、あんたを待ってたとこだよ。気にすんな」
リーさんと腹話術師さんの視線が交わった。

                                 つづく

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