『回る回る運命の輪回る3 君と僕と、未来の世界』24話

「ここまで来れば、もう安心かな」
さっきから何度もバックミラーで後ろを確認していた運転席の人は、ちょっと笑いを含んだ声でそう言った。
「それにしても大変だな?」
男の人が滑らかな動作でギアを操作すると、車はすうっと車線を変える。
僕らが乗っているのはさっき、ワンボックスカーに体当たりした黒い車ではない。事前に用意していたらしい、近くに止めてあった小さなスポーツカーに乗り換えている。
「大丈夫か? また鼻血、出てるぞ」
「……すみません」

僕はお礼を言って、差し出されたポケットティッシュを受け取った。さっき、未来が見えたあとすぐにも鼻血が出て、それはしばらく収まっていたのだけど、どうもまたぶり返したようだ。
高速道路はそこそこに込み合っていたけれど、でも男の人の運転は巧みで、車のすき間を見つけてはそこに滑り込み、まるでミズスマシのようにすいすいと前に進んでいく。僕がギアを変える手つきに見とれていたのが分かったのか、男の人は手袋に包まれた右手を振って見せた。
「ずいぶん、慣れたよ、この義手にも。こうしていると本物みたいだろう?」
男の人――、五十嵐さんはそう言って、少しだけ笑った。
「あの……、ありがとうございました」
自分の身に起きたことが良く分からないまま、まだお礼も言ってなかったことに気がついて、ようやくそう言った。

僕の言葉に、五十嵐さんは軽く首を振った。
「間に合ってよかった。桜統括官が不在で、極東支部の作戦局がごたごたしてるということは聞いていて、それとなく情報を集めていたんだ……、どうした? 怪我でもしたか?」
僕がごそごそしていたの見て、五十嵐さんが不審げな顔をした。
「い、いや、なんでもないです」
「そうか?」
別に怪我をしていたわけではない。どうも背中がごつごつするなと思って確かめたら、そこにあかねさんのDVDが入っていて、なんとなくがっくりきただけだ。あの騒ぎですっかり忘れていた。でも、財布も携帯も置いて来て、持ってきたのがこれだけとは……。

「ああ、君のパートナーも、無事だよ」
思い出したように五十嵐さんが言う。
僕の。パートナーって……。
「ノアちゃん? 無事って……、あの……」
「彼女にも拘束の命令が出ている」
五十嵐さんの言葉を聞いた瞬間、ずんと身体が冷たくなった。
「拘束……?」
「ああ。ソサエティの機密情報に対する不正アクセスと規律違反。言いがかりに等しいものだけれどもね。今朝、呼び出しを受けて出頭したところ、そのまま拘束されそうになったようだ。ただ作戦局にも正木代行に批判的な人間は大勢いてね、その手引きで脱出に成功した。今はある場所に匿われている。俺たちも、そこに向かっているところだ」

五十嵐さんの話にほっと気が緩んだけれど、同時に、頭の中が疑問でいっぱいになった。
「一体、何がどうなってるんですか?」
あかねさんが意識を失ったまま入院し、ノアちゃんがソサエティのデータにアクセス出来ないようになり、僕の前には腹話術師さんが現れて、ノアちゃんと僕の出会いがあらかじめ仕組まれていたものだと告げ、ちはるが襲われ、そして今、僕らはソサエティに追われている。何がなんだか、さっぱり分からない。
「僕やノアちゃんが、何をしたっていうんですか? ノアちゃんは、ソサエティのデータベースに不正にアクセスしたかもしれないけど、でもそれは僕に何が起きたのか教えてくれようとしたからで、僕だってユニティの人と話をしたけど、ソサエティの秘密を話したりしたわけじゃないし……。それに、どうしてソサエティはノアちゃんにまで嘘を吐いてたんですか? 僕もノアちゃんも、あのとき僕たちが出会ったのは偶然だってずっと思ってて、でもそれがソサエティの計画だったなんて……」

この数日間、ずっと心の中で考えまいとしていたことが、噴き上がって来て、どうしようもなかった。
「浩平くん、落ち着け」
でも、五十嵐さんは静かな口調で言った。
「あ……、すみません……」
「いや、いきなりこんな事態に巻き込まれて、困惑する君の気持ちは分かる。実は俺たちも、戸惑っているんだ。正木代行のやり方は、なにかがおかしい。君はもう、自分たちがソサエティの実験の一部だということを、知ってるんだね?」
「じゃあ、五十嵐さんも、最初から……?」
僕の言葉に、五十嵐さんは首を横に振った。
「俺が知ったのはごく最近だ。実は前にココの話を聞いたときにおかしいと思って、それで少しずつ調べていたんだ」
「おかしいって、何がですか?」
「以前、ココが口をきけなかったことは話しただろう? そのとき、ココは専門施設に送られて、そこで治療を受けたと」

幼い頃、目の前で両親を失い、ソサエティに『運命読み』の候補者として引き取られた少女。自分が背負わなければいけない運命を、最後は笑顔で引き受けたココちゃん。
「あいつから聞いたんだ。そこで自分はノアに名前をもらったと。ココアの好きなココちゃん、そう呼ばれて、うれしかったと」
確か、ノアちゃんもそんな話をしていた。
「でも、これはおかしい。ココがいたのは周囲から隔離された特殊な施設だ。ソサエティで生まれた健康な子供が育てられる場所じゃない。あのセンターで育てられるのは、極めて特殊なケースなんだ」
そうだ。前にノアちゃんは言っていた。センターってどんな場所って聞いたときだ。
「病院みたいな場所です」って。
白くて、きれいで病院見たいな場所。
そこはもしかして、本当に病院だった……?
「以前、1919年の悪夢の話をしたことは、覚えてるね?」
五十嵐さんの言葉に僕はうなずいた。

「ソサエティの本部が、それを再現する実験を行っているということは聞いてはいた。イレギュラと工作員を近くに置くことで、運命律に大きな影響を及ぼす事例の観測。それは世界中で行われたというが、ただ、期待したような結果は生まれなかったそうだ。それは当り前だ。いくら似たような人間を探したところで、結局、一九一九年のイレギュラも工作員も別人なのだから。でもソサエティは、というかソサエティの中の一部、神秘主義的な考えを持つ連中はあきらめなかった。そうしてこんなことを考えた。イレギュラは常に不確定要因だ。だから、それは失敗の原因にはならない。問題は工作員にある。少なくとも、イレギュラとともにいる工作員が、一九一九年の工作員と同じ人物なら」
なにか嫌な感じが、背中を駆け抜けた。
同じ人物?
「ここから先は、確証のない話だ。調べようにも、最高機密扱いになっていて、俺のような下っ端じゃ手も足もでない。だから、集めた情報や噂を継ぎ接ぎした、俺の想像だと思ってもらえばいい」

ほんの少し、五十嵐さんの口調に厳しいものが混ざったような気がした。
「ソサエティの部署に、生体技術部というのがある。俺のこの義手もそこが提供してくれたものだ。そのとき、そこに所属している技術者と親しくなって聞いた話だが、ソサエティは一時期、かなりの予算を投入して遺伝子複製技術の開発を推し進めていたことがあるらしい」
「遺伝子複製?」
「ああ。平たく言えば、クローンだ。誰かの細胞から遺伝子を抽出して別の人間を作る。その細胞は髪や爪、遺伝子が抽出できるならなんでもかまわない。極端に言えば、遺骨でも」
五十嵐さんがなにを言いたいのか分からなかった。いや、もしかしたら聞きたくなかったのかもしれない。

「1919年のイレギュラは、戦争が始まって行方が分からなくなった。調べたところでは、ちょっと夢見がちな、でも心の優しい青年だったらしい。そして彼と一緒にいた工作員は、その後、任務の際に死亡したことになっている。だが、実際はちがう。負傷して現場を離れ、引退した工作員が暮らすハウスで一生を終えた。その彼女の名前は――」
聞きたくない。聞きたくない。そんな話――!
嫌なものが全身に満ちて、叫べるものなら、そう叫びたかった。
でも、ただ、ぎゅっと手を握って俯いていただけだった。
そして五十嵐さんの言葉を、聞いた。
「ノア・パルトル・ド・ガルネシア。それが彼女の、名前だ」

                                 つづく

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