僕は必死になって夕闇の落ちかかる街を走り抜けた。
「場所ははっきりとは特定できない。我々の仲間にもこれから起きることが分かる人間がいるが、しかしソサエティの運命読みほどの精度はない。だから教えられるのは、この街のどこかということだけだ」
腹話術師さんはそう言っていた。
それほど大きな街ではないとはいえ、あと30分ですべてを回るのは絶対に不可能だ。
岩田くんにも電話したけれど、たぶん仕事中なのだろう、すぐに留守電に代わってしまった。ちはるが大変なことになるかもしれないとメッセージは入れたけれど、それを岩田くんがいつ聞くか分からない。ノアちゃんはソサエティの呼び出しを受けていて近くにはいない。僕が一人でなんとかするしかないんだ。
考えろ、考えろ、考えろ。
生徒会の仕事を終えたら、普段ならちはるはバスでまっすぐに家に帰って来るはずだ。学校からバス停までは他の生徒もたくさんいるし、家から最寄りのバス停までは歩いて数分の距離だから、そこで襲われるとは考えにくい。 だったら、ちはるはどこか、寄り道をするんだろう。買い物があるとか、図書館で勉強するとか、何か言ってなかったっけ……。
ああ、もう!
いくら考えても思い出せない。こんなことなら、もっとちはるの話、聞いておけば……。
もし買い物を頼まれていたり、本屋で参考書を買うのなら駅前の商店街に行くだろう。あそこも人通りは多いから、襲われる心配はないかもしれない。でも、去年の秋、あそこでもひったくりがあって……。
走っているせいだけではなく、心臓がどんどん飛び跳ねる。息が詰まって胸が苦しくなる。頭が熱くなって冷静に考えられない。
どこに行けばいいのか分からないまま、僕は気が狂いそうな焦りを覚えながら、でも闇雲にに手足を動かして
――オレンジ色の夕日。刃に反射する。赤い柱。悲鳴。帽子を目深にかぶった男。恐怖におびえる目。細かく散る、長い髪――
「痛ッ……!」
あまりの激痛に、僕はほとんど転ぶように、その場にしゃがみこんだ。鉄鎚で後頭部を殴られたように頭が痛む。まるで目蓋の裏に薄いガラスを押し込まれたように両目が焼けて、視界がぼやける。
深く呼吸をしようとしても、はっはっは、と短く息を吸って、吐くことしかできない。
(ちはる……)
でも、そんな痛みの中でも、僕の頭は目の前に浮かんだ景色を覚えていた。
あの場所。知ってる。
あの赤い柱。鳥居だ。
子供の頃、岩田くんとときどき3人で遊んだ神社の鳥居。ほとんど人がいなくて、宮司さんもときどきしかやって来ない。もしかしてあそこで、一人で演説の練習をしてて……。
まだ尾を引いている痛みを堪えながら、僕は立ち上がった。かくんと折れそうになった脚に拳を叩きつける。
僕は時計を確認した。腹話術師さんが言った時間まではまだ、10分以上残っている。
だったら今のは、一分後の世界じゃない。あれは……、もう少し先の世界? 僕が踏み入れるかもしれない、未来の……?
僕は考えることを放棄して再び走り出した。
唇にずるりとした感触を覚えて、走りながら手を当てる。べっとりとした赤い液体。
きっと鼻血を出したんだ。
周囲の人が、青い顔で、しかも顔の下半分を赤く染めて走る僕に、気色悪そうな視線を向けてくるけれど、そんなことには構っていられない。
僕は喘ぐように口で息をしながら、走って、走って、走った。
そして目の前に現れた神社の石段をようやく昇りきろうとしたとき。
悲鳴が聞こえた。
つづく