『回る回る運命の輪回る3 君と僕と、未来の世界』14話

僕が車から降ろしてもらった場所は、学校と家の、ちょうど中間に当たる場所だった。
「この女の子のことは心配しなくていい。きちんと自宅まで送って行こう。それより、さっきの件、ゆっくり考えてくれ」
腹話術師さんはそう言ったけれど、僕はあまりにも色々なことを聞いてしまって、その言葉にも曖昧に頷くしかなかった。

ほとんど途方に暮れながら、僕は夕方の街を歩き始めた。時計を確かめると時間は午後五時を少し過ぎていた。車に乗っていたのは一時間と少しだったけれど、でも、もっともっと長い時間だったように思える。
「野島浩平くん、率直に言うと我々は君を、必要としている」
 車の中で、腹話術師さんはそう言った。
「我々が君を発見したのは、昨年の冬だ。君の存在が、運命読み候補の能力発現を促した。そうだね?」
曖昧に頷く僕を見る腹話術師さんの目にはそれまでの穏やかな色でなく、鋭い光が宿っていた。

「イレギュラが運命の特異点であることは知っているだろう。だが、その特異点同士が重なったとき、どうなるか知っているかね?」
思いもよらないことを聞かれて、僕は黙って首を横に振るしかない。
「特異点というのは一種の歪みだ。だが、その歪み同士が接触した場合、そこから新しい運命律が始まることがある。もちろん通常、そんなことは起こらない。が、片方の特異点、つまりイレギュラがあまりに強い力を持っている場合は別だ。互いの歪みが影響しあい、そこからさらなる運命律が生まれる。君と運命読み候補に起きたことが、まさにそれだ。君と接触しなければ、運命読みは力を発現することはなく、これから先の世界は大きく変わっただろう。我々が君を欲している理由はまさにそれだ。我々は、世界中の、強い力を持ったイレギュラを集めている。新しい運命律を作り出すためにね」
「新しい運命律……。それを作ってどうするんですか?」
僕の問いかけに、でも腹話術師さんは直接は答えずに、別の話を始めた。

「君はソサエティのことを、世界を正しい方向に導く組織だと思っている。ちがうかな?」
腹話術師さんの言葉に、僕はうなずいた。
「だがね、それは、欺瞞なんだよ」
「欺瞞……?」
世界を正しい方向に導くこと。今まで何度も聞かされたソサエティの目的。それが欺瞞?
僕の疑問が顔に出たのか、腹話術師さんは僕の目を見たまま軽く頷く。
「彼らは世界を正しい方向に導くと言う。しかし、考えて見給え。正しいとは、一体何だね? 正義と悪とは、紙一重だ。一方にとって正しいことも、別の角度から見れば悪なのではないか? ソサエティが今までやって来た正しい方向に導く、というのは誰にとって正しいことなのか? それは、ソサエティにとって、なのだよ」

腹話術師さんの声音は穏やかだったけれど、でもその下には溶岩のようにどろどろとしたものが隠されているのがすぐに分かった。
「私も昔は、そんなことは考えていなかった。ソサエティは正しいと、そう思っていた。だが、分かったんだ。ソサエティは運命を正しく導いているのではない。運命を自分たちの都合のいいように書き換えているだけだ。なにか悲惨な出来事があったときに、ソサエティは確かに、その出来事から人の命を救う。だが、それは自分たちが救いたい命、救ったほうが自分たちにとって都合のいい命だけだ。
それも、時には運命読みや工作員、幹部の命すら駒にして。それが、ソサエティだ。だが、我々はちがう。救える命は、すべて救うべきだ。悲惨な運命が書き換えられるなら、それは書き換えるべきだ。

もし君が手伝ってくれるなら、それも絵空事ではないんだ」
腹話術師さんは、じっと僕を見て続けた。
「それだけじゃない。野島くん、ソサエティは君に嘘をついている」
「嘘って……?」
「正確には、君に、ではない。君たちに、というべきだろう。君と、君と一緒にいる工作員の少女が出会ったのは偶然だと、そう思っているだろう?」
「そうじゃ、ないんですか……?」
腹話術師さんの言葉に、僕は完全に混乱していた。
だって、あの日、あの場所に、偶然僕がいなければノアちゃんと出会うことはなかったんじゃ……。

でも、僕の言葉をはぐらかすように、腹話術師さんは静かに笑った。
「まあ、その話はいずれ聞かせてあげよう。それに、さっきの話もいきなり信じるというわけにはいかないだろう。君に、証拠を見せよう。そうは待たせない。そうだな、ここ二、三日、よくニュースを見ていてくれ。私の話したことの意味が、分かるだろう」
こうやって、通い慣れた家への道を歩いていても、さっきの腹話術師さんの言葉を思い出すと、頭は自然に下を向いてしまう。
腹話術師さんは僕に何をしろと言ったわけでもない。
「ただ、我々の力になると約束してくれれば、それでいい」
そう言っただけだ。実際、僕に何ができるわけでもない。

でも、腹話術師さんのユニティに力を貸すということは、それはソサエティに敵対するということで、ノアちゃんを裏切るということだ。
そんなことは、できない。
ノアちゃんに命を助けてもらったことがあるとか、そういうことだけじゃない。ノアちゃんと一緒にいるようになって、一年にもならないけれど、でももうノアちゃんは、僕の大事な友達で、家族みたいなもので……。

でも、腹話術師さんの言葉が、変な所に刺さった魚の小骨のように、胸の隅に引っかかっていた。
ソサエティは、多くの人間の命を駒にしている。
時には命の危険が伴う任務を負う工作員、今までのすべての記憶を奪われる運命読み。「百万の命で一億人の命を購う、ソサエティがやるのは、そういうこと」、あかねさんの口からそんな言葉を聞いたこともある。
もうすぐ家に着くっていうのに、どういう顔でノアちゃんに会えばいいんだろう……。
心が決まらなくても足を止めなければやがて家に着く。
「はあ……」
まだ迷いながら石段を上がり、ポストをのぞく。
「……?」

そこにはネット書店のロゴが印刷してある薄い箱が入っていた。なんか注文したっけ? 僕には覚えはないけれど、ノアちゃんのかもな……。ぼんやりと思いながら箱を取り出し、玄関を開けたときだった。
「……ノアちゃん?」
ドアを開けたすぐのところに、ノアちゃんが座りこんでいた。
ぼんやりとした顔でただ視線を中に彷徨わせているその姿は、いつもよりもっと小さくて、そして年相応に、頼りなく見えた。
「ノアちゃん、どうか、したの……?」
そしてノアちゃんの顔をのぞき込んでぎょっとした。
顔色が悪い。いや、悪いどころじゃない。普段から色の白い顔は、白を通り越して青ざめてさえいる。そして気のせいだろうか、目のふちに白い……、涙の痕?
「師匠……」
 

ノアちゃんは僕を認めてもしばらくぼんやりとしていたが、やがてふらりと立ち上がった。
「どうしたの? 身体の具合、悪い?」
ノアちゃんは、僕の言葉も耳に入らないように、ただ大きな、青みがかった黒い目で僕をじっと見つめていた。
そして、なにか小さく一言呟いたかと思うと、糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
「ノアちゃん!」
あわてて抱きとめたノアちゃんの身体はわずかに震えていた。ピンク色の唇からは短い、荒い息が漏れている。
「しっかりして、ノアちゃん!」
僕はノアちゃんを抱き起こして、家の中に運び込んだ。その身体は、まるで綿菓子を抱くように軽かった。 
そして僕の耳には、ノアちゃんの呟きが小さく小さく、響き続けていた。
わたしは、だれ?

                                 つづく

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