居間のソファに座って、ぼんやりとテレビを眺める。
画面には水着姿で胸を寄せて、チャーミングな表情で笑うあかねさんの姿があった。
「桜あかね、電撃結婚&芸能界引退!」というニュースが流れたのは、昨日の夜、僕らが病院から帰ってすぐのことだった。
グラビアアイドルの桜あかねは、撮影先のインドネシアで海外のセレブに見初められて電撃的に結婚し、そのまま芸能界を引退することになったらしい。公式ブログには本人のコメントが載り、テレビやネットは朝からその話題で持ちきりだった。
「いやあ、ホント、びっくりだよねえ!」
「色々以前から、噂の多い人でしたけどねえ」
日曜朝の芸能ニュースの司会を務めるお笑い芸人の人が、大げさな顔で言って、芸能評論家という良く分からない肩書のおじさんがもっともらしく頷く。
「まあ、おめでたいですよ」
でも本当はそんな、おめでたい話じゃないことは、僕が一番よく知っている。僕だけじゃない、隣に座っているノアちゃんだって。
「……なにか、飲む?」
僕はそう尋ねたけれど、ノアちゃんは黙ってテレビのほうを向いたまま、首を左右に振った。
昨日、正木さんが帰ったあと、病室でも、ソサエティの車で送ってもらう途中も、そして家に着いてからも、ノアちゃんはずっと、ほとんどしゃべらない。
きっと、あかねさんのことが、すごく心配なんだろう。もちろん僕もそうだけど、でも僕よりも、もっともっと、心配しているはずだ。
ソサエティの人は家族です。
ノアちゃんは前にそう言っていた。色んなことがあって、全員が全員、信頼し合ってるわけじゃないことは分かってるだろうけれど、でもやっぱり、あかねさんはノアちゃんにとって、特別な人なんだ。
「いや、僕、ホントによく知らないんで、ごめんなさい」
テレビでは、ごつい顔をした、一時期あかねさんと噂になったプロ野球選手が戸惑った顔でインタビューを受けていた。
「結婚とかそういう話は、今初めて聞いたんで、ちょっと勘弁してください」
これが、病気でしばらく入院するとか、活動休止とかいう話ならもう少し、安心できたかもしれない。でも、ソサエティが、桜あかねが結婚して引退するっていう話を流しているっていうことは、あかねさんがもう、元に戻れる可能性が少ないってことを意味しているんじゃないだろうか。
いや、だめだ。
僕はこみあげて来た不穏な想像を振り払うように首を振った。
そんなこと、あるはずがない。だって、あの、あかねさんが……。
じっとりと血を吸ったピースマークが、頭に蘇った。
昨日の出来事は一体、なんだったんだろう?
帰りの車を運転していた人や、警護を担当すると言って挨拶にやって来たソサエティの人にも、何度も尋ねたのだけど、でも誰も、なにも答えてくれなかった。
「師匠は心配しないでください」
ノアちゃんも、それを繰り返すだけだ。
あれは、そもそも、僕の「バイト」の予定の中に入っていたんだろうか。あかねさんは「なにが起きてもなにもしないで」って言っていた。ああやって、正体不明の集団に襲われることも予定していたんだろうか。あるいはもしかして、僕の存在が、運命を狂わせてしまうイレギュラである僕の存在が、なにかをおかしくして、それであかねさんがあんなにひどい怪我をする結果になってしまったんだろうか。
それに気になることは、もうひとつあった。
さっき、別のチャンネルでやってたニュース。
「昨日、午後二時ごろ、某々区のビル街で異臭がするという通報があり、警察と消防が駆け付けたところ……」
それを見ていた僕は思わず、画面に顔を近づけてしまった。そのニュースが映し出していたのは、まさに昨日の事件が起きた場所だった。
画面の中では、口を押さえたり、毛布を掛けられたりした人たち、それに消防士や警察官が右往左往している。
僕はかなり鈍いほうだけれど、それがどんなにおかしいことかぐらいは、すぐに分かった。
事件がすり替わってる。
実際にあったのは、オートバイの集団が銃を乱射したことだけど、でもそれが、公には異臭騒ぎになっている。ニュースによると、「異臭を嗅いで」入院している人もいるらしい。
一体、どういうことなんだ?
ソサエティは事件自体を隠そうとしてるんだろうか? それとも、ソサエティの力でも隠しきれないから、別の事件が起きたことになっているんだろうか? 入院している人っていうのはもしかして、昨日僕が見た、あの、血を流して地面に倒れていた人たち?
考えれば考えるほど、頭がこんがらがってくる。
どういうこと? って尋ねたくても、ノアちゃんはぼんやりとテレビに視線を送っているだけだ。きっと尋ねても、「心配しないで」って言われるだけだろう。
そんなことを考えていたら、玄関のチャイムが鳴った。
同時に、がちゃりとドアの開く音がした。
「おはよう!」「お邪魔しまーす!」
玄関から明るい声と、足音が聞こえた。
「こーへー、準備出来てる?」
が、部屋に入って来るなり言った岩田くんの顔が僕を見て、曇った。
「毎週、ごめんね……。でも、私、頑張るから……」
言いかけたちはるも、怪訝な顔になる。
「どうかしたの……? こーちゃん?」
そうだ、ちはるの演説の練習に付き合う約束してたんだ。でも、こんなときだから、断ったほうがいいのかも知れない……。
そのとき、隣に座っていたノアちゃんがすいっと立ち上がった。そして僕にだけ聞こえるようにささやく。
「師匠は普段通りにしててください。ノアは、病院に行ってきます」
ノアちゃんは不思議そうにしているちはると岩田くんに少し頭を下げると、そのまま部屋を出て行ってしまった。
つづく