その二本の電話は、これはまったくの偶然だけど、同じ日の、ほぼ同じ時間に掛かって来た。
「元気にしてるか?」
家の固定電話の受話器を取った僕の耳に、いきなり太い声が飛び込んできた。
「父さん?」
「飯はちゃんと食ってるか? 風邪は引いてないか? 花粉症はどうだ?」
まくし立てるように次々と問いかける心配性の父親に苦笑しながら、僕は大丈夫、と答える。
本当に大丈夫か? お前は春先、弱いから、となおも言い募る父さんの後ろから、国際電話は高いんだから、早く本題に入んなさい! という母さんの声が聞こえた。
「ああ、おう。あのな、浩平、お前、寂しいんじゃないか?」
「へ?」
言ってる意味がさっぱり分からない。いや、意味は分かるけど、質問の意図が分からない。
「俺と母さんも、ずいぶん長いこと、お前のことを放ったらかしにしてるだろ。こうやって海外で仕事するようになって随分経つし、もしかしてお前に寂しい思いを……」
もう! という声がいきなり割り込んで、父さんの声が途切れた。
「あ、もしもし? この人に任せてたら話進まないから」
母さんは相変わらずの早口で言った。
「実はさ、こっちで店持たないかっていう話があってさ。ほら、父さん、この間、お菓子の賞取ったじゃない?」
この話は聞いていた。パティシエをやっている父さんは、この間ヨーロッパでも有名なお菓子のコンテストで優秀賞を取ったらしく、それは日本でもちょっとしたニュースになって、テレビや雑誌でインタビューされているのを何度か見かけた。
「それがきっかけでね、店出すためのお金出してくれるって人が見つかったのよ。これがなかなか、いい条件でね。でもそしたらこっちに完全に居っ放しになるから、もしあんたにその気があったら、こっち来て一緒に住む?」
軽機関銃のような早口に圧倒されつつ、思った。
えっと、こっちっていうのは……、ベルギーだっけ? それともフランス?
「それが聞きたかったんだけどさ。あんた前に、高校出たら製菓学校行きたいみたいなこと言ってたじゃん? ならこっちで勉強するのもいいかと思って。まあでも、日本の専門学校のレベルも、高いとこは高いし、それにあんた一人暮らし長いし、あたしたちもあんまり日本に帰ってないから、今とあんまり変わんないけどね。じゃ、そういうことだから、ま、一応考えといて?」
突風のように一気にしゃべってから、お、俺にもちょっと話を、という父さんの叫びを無視して、母さんはいきなり電話を切った。
えっと……?
ぼんやりしたまま、ともかく頭の中で話を整理しようとしていると、今度は僕のポケットの中から、携帯電話が鳴りだした。
はっと我に返って携帯を取り出して耳に当てると、電話の相手はまたしても、もしもし、という前に、いきなり言った。
「バイトしない?」
「は?」
「ほらあ、春って何かと、お金かかるでしょお? 春物の服って高いわりに出番短いしさあ。それに、後輩とか出来たら、格好つけなきゃいけないからジュースとかアイスとかおごったりしないといけないじゃない?」
甘ったるい声としゃべり方にも関わらず、僕に口をはさませるスキを作らない。
なんだか僕の周りの女の人は、こんなのばっかりだな。
「だからさあ、バイトしない?」
「あ、あの、あかねさん?」
一瞬出来た間に、ようやく僕は言った。
「バイト、ってなんですか?」
電話の向こうで、あかねさんが、知らないのお? と大きな声を上げる。
ソサエティのかなり偉い人で、ノアちゃんの上司で、普段はグラビアアイドルで、と実にわけのわからない存在であるあかねさんは、それにふさわしく、わけのわからないことを言い出す。
「英語で言うと、パートタイムジョブ。知らなかったら説明するけどさあ、アルバイトとも言って、他に本業を持ってる人がお金がもう少し足りないってときにするお仕事のことなのね? 大体、お給料はあんまり高くないんだけど、ときどき、寂しい人妻とお話しするだけの簡単なお仕事ですとか、ちょっと荷物を運んでもらえたらいいですとかそういうのもあってねえ、でもそれって本当は……」
「いや、バイトは知ってますけど」
話が妙な方向にそれそうになって、あわてて言った。
「あの僕、一応ちゃんと学校行かないといけないし、それにバイトってしたことないし、力仕事とか無理だし……」
僕がそう言うと、あかねさんは軽やかに笑った。
「浩平くんが成績も出席日数もぎりぎりな、真面目な高校生だってことは知ってるってえ。それに別にコンビニとか郵便局とか魚市場とか、そういうとこで働けって言ってるわけじゃないんだからさあ。あたしが頼むんだからソサエティのお手伝いに決まってるでしょ」
「そう、なんですか……?」
「そう、なのよお。あのね、運命律の実地検証でさあ。イレギュラの浩平くんが、どんなふうに運命律に影響を与えてるかっていうのを知りたいのよ。だから、ちょっと手伝ってくれないかなあと思って。ま、すぐじゃなくてもいいからさあ。ゴールデンウィーク明けにでもまた連絡するから、そのときにお返事ちょうだい?」
「はあ……」
「あっ! そうだ!」
「な、なんですか!」
いきなりあかねさんが素っ頓狂な大声を上げたので、釣られて僕の声も高くなってしまう。
「大事なこと言うの、忘れてた!」
「なんです?」
「すっっっごく、大事なこと」
そう言うと、あかねさんは妙な間を作った。
「だから、なんです?」
「桜あかねの最新DVD、もうすぐ発売になりまあす! 買ってねっていいたいところだけど、浩平くん、お金なさそうだから、サンプル、送るねっ! でも初回特典はあかねさんのふわふわおっぱいアイマスクと等身大ポスター付きだから、サンプル、気に入ったら買ってねっ!」
言うなり、あかねさんも、ぷつんと電話を切ってしまった。
つづく