9月某日 砂上の楼閣

東京から来た友人にお土産をもらった。銘菓「東京バナナ」である(正しく表記すると「東京ばな奈」ということになるようだが、ここは「東京バナナ」でいかせていただきたい)。

そしてその「東京バナナ」は「シチリアレモン味」であった。つまり「東京バナナシチリアレモン味」である。

しみじみと渋滞している。東京でシチリア、バナナでレモン。全員が道に迷った果ての渋滞という感じがする。そして渋滞にはまったとき、窓の外を眺めながら「俺の人生はこれでいいのだろうか、いやそもそも生きるとは」などと考え始めるのと同じように、「なんで東京でバナナやねん」という、そもそもの話を思い出す渋滞でもある。

ただこの渋滞、東京土産のありかたとしては、非常に「正しい」という気がする。

最初に光がある如く、そもそも「なんで東京でバナナやねん」という疑問がある。そこに「でもまあ、そんなこと言い出したら」という共通の了解がある。すでにその時点で、砂上の楼閣なのである。そして砂上の楼閣的共通認識が建築基礎となっている以上、その上には何でも載る。「東京でバナナだとしたら」というスタートなのだから、載らないはずがない。それこそが、砂上の楼閣というものである。あるいは形而上学的と言ってもいい。これが「東京バナナ」が象徴するものであるならば、やはり東京を代表する銘菓は「東京バナナ」以外にあり得ない。

ちなみに「東京バナナシチリアレモン味」は、「東京バナナシチリアレモン味」としか言いようのないお味であった。今あなたが想像した、その味である。冷やすと美味しい。 (なお、「なぜ東京でバナナか」というヒントを求めて「東京ばな奈」のホームページを訪れたところ、そこにあったのは「なぜ東京でバナナか」を説明していると思しき、しかしなんだかふわっとしすぎているポエムであった。興味のある方はぜひご覧いただきたい。あまりにふわっとしているので、「ふわっと」が東京バナナと掛かっているのかと思ったが、このあたりの軟弱な地盤もまた、東京的であるのかもしれない)。


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