8月某日 愛

※今回の日記には、一部非常に共感しづらいであろう表現が含まれます。ご理解のうえ、お読みください。

夜、駅へ急いでいると、向こうからカップルが歩いてきた。並んで歩いているわけではなく、女性が前を行き、男性が後ろから追い、どうやら揉めているらしく、声高になにやら言い合っている。そういう状況が好きなもので、カップルを追いかけてじっくり盗み聞きしたかったのだが、方向転換して後を追うのも変な話なのでそのまますれ違い、まっすぐに歩きかけた。そのとき、後ろから「ぎゃっ!」とすごい声が聞こえて、思わず振り返った。男性が女性に詰め寄って、ばちん、と彼女の頬を張ったところであった。

さてどうするか、と思った。これ以上エキサイトするなら止めたほうがいいが、痴話喧嘩に口を突っ込むと、大抵ろくなことにはならない。

そう思っていた目の前で、もう一発ビンタが炸裂した。今度は、彼女が思い切り右手を振り上げて、男の顔を張り返したのだった。

そのビンタというのがですね、実に見事な一発だったのです。きれいに腰が回転し、フォロースルーも美しく、頭に「猪木」という文字が浮かぶほどの美しいビンタであった。さらにそこで話は終わらず。今度は男が応戦。再び彼女の顔を張ると、次は女性が逆襲の一撃、その次は男性。まさに猪木の闘魂注入。さらにその間、というのは殴り殴られの間、二人とも罵り合っているのである。

わあ、と思いながらしばらくそれを眺めていて、どういう結末になるのか気になるところではあったが、こっちも終電の時間が迫っていたので、後ろ髪引かれる思いでその場を後にした。

そうして、愛だ、と思った。今、愛を見たな、と。

たぶん、あの人たちは普段からああいうことをやりあっているのだろう。少なくとも、あれが初めてだとは思えない。というもの、普通はどんなに腹に据えかねたとしても、よほど慣れていなければ、あれほどの勢いで他人の顔を張ることはできない。どこかちょっと躊躇する。そして、何回も言うけど、彼女のビンタは、フルスイングの、それはそれは見事なビンタだった。さらに彼も避けようと思えば避けれただろうが、微動だにせず、それを受けていた。

人の顔を殴るなどということは言語道断で、文明人なのであるからには暴力ではなく話し合いで解決するべきだ、というのは大前提であるし、その意見には同意するべきであろうし、それにビンタの応酬で済んでいる間はまだいいが、そのうち平手がグーになり、足になり、肘や膝になり、やがては刃物が出てくるかもしれない。だから、そういうことは早めにやめて、もっと冷静になりなさいよ、とも思う。とも思うのだが、しかし、同時にあれこそが愛だよな、とも思ったのだった。

真夏の夜の、最近見なくなった、醜くて見苦しくて暑苦しい愛の一幕であった。


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