6月某日 怖い夢

すごく怖い夢を見て目覚めた。怖い、というのには種類があるが、今日見たのはストーリーがあるとか、最後に怖いものがばーんと出てくるといったタイプではなく、抽象的なイメージの羅列。それがとても不穏で、とても気味が悪い。しかも延々と続く。あの有名な呪いのビデオのような、起きるに起きられない、どのタイミングで起きていいか分からない、ちょっとアート指向ともいえるタイプの怖い夢であった。


もちろん怖い夢は歓迎したくない。が、しかし不思議なもんで、怖い夢を見ることが多い時期のほうが、創作ははかどる。逆に、穏やかで、幸せな夢を見るとか、まったく夢を見ないという時期は、あまり文章の手が進まない。たぶん、脳細胞の活性、想像力というものに関係があるような気がする。


 あるいはもしかすると、昔からよく聞く「小説家が幸せになりすぎると、いいものが書けなくなる」に似た現象なのだろうかとも思う。もちろん、そんなものは迷信というか都市伝説で、幸せで、かつ小説家として充実している人はいるし、そっちのほうが多いのではないかと思っている。が、怖い夢についてはどうだろう。そんなことを思うとき、伊藤潤二の『首吊り気球』のように、小説家の家の上に怖い夢の詰まった風船が浮かんでいる、というイメージが頭をよぎる。今日も変な夢を見そうである。


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