10月某日 派手道

大阪は派手なファッションの人には事欠かない町である、というイメージがあるが、実際にはどうだろう。確かに、商店街を歩けば豹柄、虎柄、縞馬柄のおばちゃんを容易に見つけることができるし、夜の街を歩けば、「お、ミナミの帝王」という人に出くわす。が、本当に派手といえるのはそれぐらいで、大多数は、日本のどこの街でもいるような、それほど派手ではない人たちである。原宿とかのほうが、よほど派手だ(余談であるが、ずいぶん前に原宿を歩いていて、頭に「枝」を挿している人を見たときは、この町はレベルというかベクトルが違う、と思った)。

そんなことを考えていたとき、電車の中で不思議な人を見つけた。

二十代前半の男性であった。まず、羽織っているシャツが黄金色である。一種の豹柄なのかもしれないが、パターンがとても細かく、凝っていて、ちょっと動くとシャツが蛍光灯の光が反射してラメのようにも見える。そして、肩の辺りにはうっすらではあるが、パッドが入っている。そのシャツの下に着ているのは、馬鹿でかいリアル志向の猫の絵と「開運」という文字が書かれたTシャツである。そして、これも「開運」に関連した何かなのだろうか、ネックレスも金、時計も金。さらに持っているカバンは、フクロウかミミズクの顔が大きくプリントされたトートバッグ。そこまで揃えば、派手なこと極まりないと思うだろう。が、不思議なことに、ちっとも派手な感じがしないのである。

その人が、ごく大人しそうな、眼鏡を掛けた黒髪の、常識的な様子の人だったからだろうか。あるいは上半身の派手さに比べて、下半身はごく普通のスリムのジーンズ、足元は白いスニーカーだったからだろうか。

それともその人自身に『派手な格好をしている』という自覚がないせいかもしれない。

派手な格好の人というものは気負っていたり、個性的に見せたいという気持ちが出てしまうもので(派手な服を着る、とはつまりそういうことである)、つまり派手な服と、派手な自意識はセットということになるのだが、その人を派手だと思わなかったのは、そんな派手な格好をしながらも、心が「普通」だったということかもしれない。

考えてみれば、そんな道具立てであっても派手にならない、というのは、恐ろしいほどの芯の強さである。ということは、逆、つまり地味な格好をしながらも、精神の持ちようによって派手に見せる、ということもできるはずだ。ある意味、それこそが派手の真髄である。


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