10月某日 レシピ

某料理雑誌を眺めていたら、とてもおいしそうな料理が載っていた。どれぐらいおいしそうだったかというと、思わずそのレシピ通りに作ってしまうほどおいしそうだった。いつも、レシピなど気にせず、目分量で作っている人なのに。

そして、どうなったかというと、失敗した。

だめであった。ちょっと呆然とするぐらいに、だめであった。

考えてみれば、これはとても不思議なことである。料理雑誌に載っているようなレシピというのは、百人が作って、すべて同じ味になるためのものだ。だからこそのレシピだ。が、だめであったのである。

ここには、いくつかの可能性がある。

まず、レシピを読み間違えた、ないしはレシピにないことをしてしまったという可能性である。そそっかしい人には、十分ありえることである。そして私は、そそっかしい。

そこで後日、そのレシピ通りに、なんなら前以上に丁寧に計量し、同じ料理を作ってみた。

だめであった。二度作って二度ともだめだったときの悲しみたるや、ぜひ想像していただきたいものであるが、とにかくだめであったのであった。

そこで、浮上してくるのが、第二の可能性だ。つまり、そのだめこそが正解であるという可能性である。しかし、考えてみればなんでそんなことをするのか理由が分からない。言っておけば、参考にしたのはかなりの歴史ある料理雑誌である。きっと編集部は試作も試食も重ねたはずだ。その結果、掲載に至ったのであろうレシピの正解が、だめ。そんなことありえるのか。

さらに第三の可能性も考えた。誤植である。つまり、レンジで○分加熱、とか、塩小さじ○杯、の部分に誤植があったのではないか。

しかし、これもあまりありそうではない。昔、雑誌の編集部で働いていたことがあったのでよく分かるが、ネットと違って、一度刷ってしまったら簡単に訂正できない紙の本は、ものすごく何度もチェックする。しつこいぐらいにチェックする。特にレシピものの時間や、分量は、何度もチェックを重ねるだろう。そこで誤植が発生するか?

と考えていたら、恐ろしい可能性に思い至った。

自分の口がだめ、というものである。つまり、レシピ通りに作ったものは美味しかった、私以外には。

確かに、舌は馬鹿なほうである。ジャンクフード好きだし。少々、傷んだものでも食べるし。しかし、まさか、そこまで舌が馬鹿になっているとは思いたくない。それを確かめる方法はたったひとつ。同じレシピで同じ料理を作り、誰かに食べさせることである。今、そんな誰も幸せにならないことをすべきかどうか、わりと真剣に悩んでいる。


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