あかねさんの入院している病院は、車で一時間ほどの場所らしい。
「新しい統括官代行の人が車、手配してくれたです」
昨日、ソサエティに出向いたノアちゃんは、新しく着任した統括官代行に会って、話をしたという。
「新しい人、師匠にもごめんなさいしてました。前の人が迷惑掛けたって。だから今日もこうやって車で送り迎えしてくれるです」
綾野さんの言葉通り、ソサエティに戻った正木さんは情報漏洩、職権乱用などの疑いで即刻、職務を解任、拘束されて、今は厳しい尋問を受けているという。
「それでノアちゃん、あや……」
綾野さんのことを話したのかどうか尋ねようとした僕に、ノアちゃんが軽く、目配せをした。その目が運転手さんのほうを向いて、また僕に戻る。
「というわけで、ノアは、また改めて、師匠を監視して報告する任務を命じられました。今後ともふつつかな弟子ですが、よろしくお願いします」
わざと大きな声でそう言って頭を下げたところを見ると、綾野さんのこと、つまり、ユニティが僕に協力を求めていること、7日後の朝、今となっては6日後の朝、僕を迎えに来るということは話していないらしい。
「あ、こちらこそ、あの、どうも……」
僕も頭を下げながら、ちょっと不思議に思った。
ソサエティの仕事に関しては、すごく真面目で融通が利かないぐらいのノアちゃんだったら、真っ先にそのことを報告しそうなものなのに……。
やっぱり、自分の存在について、ずっと嘘を教えられてきたことで、ソサエティに不信感を抱いているのかな……?
やがて車は病院の門を抜けて、団地のようにいくつもの建物が立ち並ぶ間を抜通り、敷地の外れにある建物の人目に着かない小さな通用口の前に停車する。
あかねさんの病室は、地下の奥まった場所にあった。
「お話できますけど、まだ容態が安定しませんから短くお願いします」
ナースの人にそう言われて(当り前だけど、この人はごく普通の、ナース服だった)部屋に入った。そして大きな機械に囲まれたベッドに、あかねさんがいた。
「……おっはー」
青白くて少しやつれた顔。口にはマスクが当てられて、身体に掛けられた薄くて白い布団の下から、何本もチューブが伸びている。
「おねえ……、桜統括官……」
ノアちゃんが、涙を堪えるように、震える声で言った。
「……この子はあ、おねえちゃんって、呼びなさいって、言ったでしょお」
小さな、細い声であかねさんが答える。
「……もう、傷痕残っちゃったよお。グラビア、出来ないなあ」
「何、言ってるんですか」
そう言う僕の声も震えていた。
「……こうなったらさあ、クイズ番組、とかに進出、みたいな、方向?」
「桜あかね、電撃結婚で、引退って言われてますよ?」
「……電撃結婚のあとは、電撃離婚って、相場、決まってるじゃない」
夢を見ているようなぼんやりした口調でそう言ったあと、あかねさんは、ほんの少しだけ、笑顔を浮かべた。
「……2人とも、頑張った、ね? ノアも、ちゃんと浩平くん助けて、えらかった。一杯大変なこと、あったね? でも、頑張ったね?」
優しい、お母さんのような口調だった。
「あかねさんのビデオ、最後まで、見た?」
僕とノアちゃんは、同時にうなずく。
「あらら……、2人とも見たんだ……。でも、それもいっか……。ねえ?」
あかねさんは、部屋の隅に立っていた看護士さんに声を掛けた。
「……ほんのちょっと、3人で、話させて?」
「は? いえ、でもまだ……」
「いいから、ね?」
看護士さんは、最初こそ口の中でぶつぶつと言っていたけれど、あかねさんの様子に何かを感じたのか、少しだけですよ、と言い残して、部屋を出て行った。
「……これで、安心して、話せる、っと。時間、ないから、単刀直入にいうよお? 浩平くん、ユニティに、誘われてるでしょう?」
「え? なんで、そのこと……?」
隣を見ると、ノアちゃんも驚いたように目を丸くしている。
「ちょっと、考えたら、分かるわよお……。あのさ、浩平くん、好きにすれば、いいよ?」
「好きにって……」
「ユニティと一緒に行きたかったら、行けばいいし、このままが良ければ、このままでいいってこと。ノアも、そうよ?」
「ノアも、ですか……? でも、ノアは、ソサエティの人で……」
言いかけたノアちゃんを、あかねさんが小さく細い、でも不思議に威厳のある声でさえぎる。
「ノアさあ、ソサエティってさ、けっこう、ひどい人の集まりだって、分かったでしょ? あたしだって、ノアに、嘘、ついてたし」
ノアちゃんが困惑したような顔になる。
「だから、浩平くんと一緒に行きたかったら、行けばいいよ?」
あかねさんがなにを言ってるのか、分からなかった。もしかしてまだ、意識がはっきりしていないかとすら考えたけど、でも、あかねさんの目を見ていると、そんなふうには思えない。
「ユニティの子たちの言うことも、一理あんのよねえ……。あたしの、立場的にはこういうこと言うの……、まずいかも知れないんだけど……、でも、助けられる命なら、全部助けようって、まちがってはいないと思うの……。それって、子供っぽいっていう人もいるだろうけど、でも子供って、ときどき、すごく正しいでしょ? だから、浩平くんが、ユニティが正しいと思うなら、行ったらいいよ?」
「あかねさん……」
唖然とする僕の顔を見て、あかねさんはまた少し、微笑んだ。
「ソサエティにも、色んな人が、いてさあ。自分の理想、押し付けたがる人とか、出世しか考えてない人とか、運命を自分で操ってるみたいに思ってる人とか。もちろん、あかねさんみたいに、いい人もいるよ? そんな人たちが衝突したり、擦れたり、軋んだりしながらなんとか世の中、正しい方向に持ってこうとしてるのが、ソサエティ。それに」
そこまで言って、あかねさんは咳き込んだ。
「あかねさん!」
きっと急にしゃべりすぎたんだ。ノアちゃんが看護士さんを呼びに行こうと踵を返す。その腕を、あかねさんが掴んだ。
「あたしは、もう、賭けに勝ったからさあ……?」
「賭けって……」
「……ビデオ、最後まで、見たんでしょう? 運命は、それを、選んだってこと。だったらこの先も、うまく、行くよ? 辛いことも苦しいことも悲しいこともあるだろうけど、きっと、きっと、大丈夫だよ。うまく、行くってえ」
そう言うと、あかねさんは静かに、微笑んだ。
つづく