『回る回る運命の輪回る3 君と僕と、未来の世界』22話

それから僕は境内の水道で血を流して顔を洗い、家に向かった。
「あいつらに連絡しても面倒になるだけだ。あいつら、人の話なんか、聞きゃしねえんだから」
そういう岩田くんに従って、警察に通報はしなかった。
「あとで、通り魔が境内に転がってますってそれだけ電話入れれば、十分だ」

僕と岩田くんが両脇を挟んで家へ送っていく途中、ちはるは一言も、口をきかなかった。ただ、黙って下を向いたまま、小さく震えていた。
岩田くんは何度も、大丈夫だからな? 俺らが一緒だからな? と何度も声を掛けていたけれど、でもそれにもほんの少し、うなずくだけだった。
「お前は先、家帰って着替えて、傷の手当てしてろ。その格好見たら、奈々さん、余計に大騒ぎしちまう」
ちはるの家の前でそう言われて、僕は改めて自分の格好を見降ろした。確かに泥だらけで血だらけで、ひどい格好だった。

「あとから、行くからな」
そう言われた僕は素直にうなずいて、家に入った。ノアちゃんがいれば大騒ぎになったかもしれないけれど、幸いノアちゃんはまだ帰っていないようで、僕はぼろぼろになった制服をゴミ箱に放り込み、傷を消毒した。深い傷ではなく、血は止まっていたけれど、傷に触れると、じわりと痛んだ。そして傷に絆創膏を貼り終えてソファに座った途端、どっしりと身体が重くなった。
頭も重い。何も考えられない。考えたくない。でもどうしても、色んなことが頭の中に蘇る。

1919年のイレギュラさんや、ソサエティが僕とノアちゃんの間に仕組んだこと、そして自分があのハサミの男の人にしてしまったこと。
なにから考えていいのか、分からない。
頭の中にいろんな考えが溢れ、縺れ、擦れ合って熱を持つ。でもまともに思考することができない。
どうしたらいいのか、分からない。
「入るぞー!」
だから岩田くんが部屋に入って来たときも、僕は頭を上げることもできず、ただソファにうずくまるように座っていた。
「ちゃんと、手当したか?」
岩田くんは僕の前にしゃがみこんで、顔や身体の傷を確かめ始める。
「よし……。見た目ほどじゃなかったな。これなら大丈夫だろ。痛むだろうけど、でも大したこと、ねえよ。顔の血は鼻血だな……。頭殴られたり、してないよな?」

本当は覚えていないから分からなかったけれど、僕がほんの少し首を振ると、岩田くんは安心したようにうなずいた。
「ちーのことは、心配すんなよ? あいつああ見えて、芯は俺らよりも全然強いしさ。すぐに元気になるよ。奈々さんもびっくりしてたけど、落ち着いてたし、安心しろって言ってたし……。ああ見えて、奈々さんも頼りになるからな」
僕を安心させるように、岩田くんは力強く言って机の上を見て、明るい声を上げた。
「お! 桜あかねのDVDじゃん! 俺、結構好きなんだよなあ! なあ、これ、見ていい?」
そう言うと、岩田くんは僕の返事も待たずに、テレビの下にあったデッキにDVDをセットした。
 

南の島をバックに、明るく笑うあかねさん。大きな胸を揺らしてビーチボールを追っている。
「桜あかね、可愛いよなあ! なんだ、こーへーも好きだったのかよお。そうならそうと、言ってくれればさあ。俺も前から好きでさあ……」
明るく話し続けていた岩田くんの声が、いきなり途切れた。
「ああ! もう!」
大声で喚いて、ばりばりと頭をかきむしる。その豹変に、僕は思わず頭を上げた。
「あのよ、お前さ!」
大声で言うと、今度は僕に、まっすぐに向きなおった。
「お前、ホント、気にすんなよ? お前は、ちはるを助けたんだからな? お前、優しいからあんなことしてびっくりして、もしかしたら気に病んでるかもしれねえけど、ああいう奴は、あれぐらいされて当然なんだからな? お前がやらなかったら、俺がやってたからな?」
「岩田くん……」
「それに、お前が行かなかったら、もっとひどいことになってたかも知れねえんだ。お前は、きちんとちはるを守ったんだ。それだけ、ちゃんと覚えとけよ」

岩田くんは、じっと僕の目を見て、言った。分厚い両手が、僕の肩に掛かる。暖かくて逞しい手。
「それからさ、お前、何抱え込んでいるか知らねえけど、もし出来ることがあったら、俺のこと、頼ってくれよ。俺、お前のこと、ホントの友達だと思ってんだ。ずっとずっと、ガキの頃から、ずっとさ」
岩田くんは、真摯な目をしていた。僕よりもずっと大人で、しっかりしていて、落ち着いた目。
「お前が変なことに巻き込まれてるってのは、分かってる。なんでちはるがもうすぐ危ない目に遭うって分かったのかとか、前にノアちゃんが襲われたこととか、あれが何だったのか、教えてくれとは言わねえよ。でも、俺はお前の味方だって、力になりたいと思ってるってこと、忘れんな。な?」
そう言うと、岩田くんは立ち上がった。
「俺、お前のことも、ちーのことも、好きなんだよ。頭悪りいし、なんにもできねえけど、でもずっと、お前らと友達でいてえんだ。だから、いつでも、頼りにしてくれよ」

じゃあ、また来るわ。送らなくていいから、ゆっくり休めよ。
そう言うと、最後に少しだけ照れくさそうな笑顔を見せて、玄関のほうに歩いて行った。
「あ……、ちょ、ちょっと……!」
ようやく僕が立ち上がり、玄関にたどり着いたとき、岩田くんの背中は街路の角を曲がって消えて行くところだった。
ありがとう。
僕は胸の内で呟いた。僕みたいなやつのこと、友達だって言ってくれて。
身体は相変わらず痛んでいたけれど、ほんの少しだけ、心の中は、穏やかになっていた。

                                 つづく

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