知り合いの小説家のサイン会に行った。デビュー作刊行記念のサイン会だったので応援も兼ねて、ということでもあったのだけれど、実は「小説家のサイン会」というものが好きで、機会があれば出かけるようにしている。
サインが欲しいというよりも、「サイン会」が好き。サインをしている小説家の後ろに立ち、サインが滲まないように薄紙を挟む編集者、お客さんを整理する書店員、そしてサインをする小説家。そういう人々を見ていると、「おおサイン会」とうれしくなる。特にサインをしている人が知り合いだと、「ほうそんな顔でそんなサインをするのか」と思ったりもする。
もうひとつ楽しいのが、列に並んでるお客さんを見ることだ。
順番を待ってる間の顔、自分の番がやって来たときの緊張、サインもらうときに交わす言葉、涙ぐんでいる人もいたりして、まさにその小説家の「ライブ」を見ているという感じ。
小説家は、お客さんがどんなふうに自分の本を読んでいるのか、自分の目で見られないし、もっというとどんな人が自分のお客さんなのか分からない。そういうお客さんが、目の前に現れる貴重な場所がサイン会なのである。
お客さんとて、単にサインが欲しいわけではなく、その場のすべてを楽しみたいからこそ、わざわざサイン会に足を運ぶのだろう。そして、その小説を読み終えた後も時折サインを眺めて、「ああ、あのとき、この書店に行ってサインをもらったなあ、こんな話をしたなあ」などと振り返るのである。サインをもらうだけでなく、ここまでがサイン会の楽しみだ。
そんなわけで、サイン本を高額で転売する人や、それを購入する人の気持ちが私にはいまいちわからない。