8月某日 続整える

心斎橋を歩いていると、整えた女性をしょっちゅう見かける、という話をしたが、最近は梅田でも見かけるようになった。と言っても、整えた女性は梅田より心斎橋のほうが多い、などということがあるはずもなく、ただのタイミングなのだろうけれど、しかし、梅田で見かけたのも、心斎橋で見かけたのと同じタイプの整えた顔の人であった。ちょっと河童に似ていたのであった。

暑い季節ということもあり、その人は非常に露出度が高かった。これまた整えた(というか、増やした)と思われる大きな胸は半分ぐらい見えていて、肌はつやつやというかてかてかしていて、皮膚というよりもプラスチックのようであった。それはやはり美しいというよりも整っているという感じであったのだが、そこでふと思ったのである。

この人は美しくなりたい、美しさを追及したいから整えているのではなく、もしかすると、本当に、プラスチック製品になりたいのではないか。どれだけ時間が経っても劣化しないプラスチックのバービー人形。それがこの人の理想なのではないか。

整えた結果、量産型の顔になってしまうこと、それはいいのか、それは「美」なのか、という話を前にした。しかし目指すところが美ではなく、プラスチックのバービー人形であるならば、それはその人にとってまごうことなき正解であり、その人にとって正解であるなら、こちらが口を出す筋ではない。大量生産のプラスチック人形になりたいのだから、量産型の顔になってしまうことなども、問題であるはずがない。繰り返しになるが、やはり口を出す筋ではないのである。

ところで、世の中的にプラスチックを減らそうという流れにある昨今、ああいったお人形さんはどうなっているのだろうか。将来的には石油を使わないような別の素材にとって変わられるのか。ということは、整えた女性を見ても、「プラスチック」とは思わなくなるのか。あるいは整えた女性を見て「プラスチック」と思うのではなく、バービー人形を見て「整っている」と思うのか。あと、心斎橋の女性も梅田の女性も、ほとんど同じ顔に思えたのだけれど、やはり人間ではなく、俺にしか見えていない霊的な何かだという可能性も捨てきれないでいる。そんなに同じ顔の人は何人もいないだろう。バービーだって、個体によってもうちょっと違うはず。


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