8月某日 君の名は

ツイッターの名前が変わってXになった。すでに商標登録されているから日本法人はX JAPANとは名乗れない、という。笑かそうとしてんのか、としか思えない話だが、そんなことよりも、心に響くのは「改名」という行為そのものである。

ある程度の期間生きていると、いくつかの「改名」に出くわすことになるが、中でも印象に残っているのはプリンスの改名だ。一時期、名前ではなくマークによる表記になり、読み方は確か「The artist formerly khown as Prince」だったと思う。もっとシンプルに「元プリンス」と呼ばれていたこともある。

なんだろうか、この脱力感。「元」って。さらに略して「元プリ」という呼び方もあった。こうなってくると、脱力を通り越して寂寥すら感じる。落魄のプリンス、という雰囲気さえ漂う。そういえば、ずいぶん前、プリンスが最後に来日した公演を見に行った知り合いは「『パープルレイン』を歌ってるのを聞いてたら、別に好きでもないのに泣けてきた」と言っていた。なんか分かる。

さらに思い出す改名といえば「新加勢大周」だ。もはや知っているのは四十代以上だろう。当時も「なんだそれ?」だったが、今思い出しても鮮明に「なんだそれ」だ。しかし当時の感覚を思い出してみると「ツイッター→X」というのは、「新加勢大周→坂本一生」というのにかなり近いような気がする。ちゃんとしない大人たち、という感じだろうか。もうすっかり顔も覚えていないが、あの事務所の社長もちょっとイーロン・マスクに似てたような。

ところで「水沢秋生」という名前、ものすごく字画が悪いらしくて、特に仕事運がよろしくなく、ときどき「変えようかな」とも思うのだけど、そのたびにプリンスと加勢大周のことが頭に浮かび、思いとどまる。


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