7月某日 迷子

梅田の地下で、盛大に道に迷った。

誰にとっても分かりにくい梅田の地下は、大阪の人間でも道に迷うが、実のところ、迷うときのパターンは決まっていて、ひとつは自分に過剰な自信があるとき。この俺が、行き慣れた、場所で道に迷うはずなど、あるものか、と自信満々に歩いて、結果、迷う。


もうひとつは逆に自分の心が弱っているとき。こういうときは、自分のすべてに自信がないものだから、経験や勘よりも、行き先案内板の表示を頼りにする。ところが梅田の地下の行き先案内板はどういうわけだか、相反する指示が書いてあったりする。たとえば直進、と書いてあって、直進すると、戻れ、という指示が出ている。それを信じて歩いていくと、当然、迷う。
つまり、梅田の地下で迷わないためには、慢心することなく謙虚に、同時に確固たる自分を持って、歩いて、いかなければ、ならない。

どういう地下街だ。
 

しかし、道に迷っていないように見える人たちは、みんながみんな「慢心することなく謙虚に、しかし確固たる自分を持って」歩いているのだろうか。そんなはずはない。その境地に辿り着いているのは少数派のはずで、ということはあの、地下街を歩いている人のほとんどは、迷っていないような顔をしているが、実は「迷っている」のではないか。
「私はこの状況に適応し、人間として正しい振る舞いをしているのですよ、迷う? 大人の私が? どうして、そんな子供みたいなことを?」、そんな外面とは裏腹に、その内面はいつも迷った迷ったさあどうしようどうしようと、おどおどびくびくしているのではないか。
しかし考えてみれば、我々は皆、そんなふうに取り繕いながら、なんとか日々を生きている。


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