6月某日 責任世代

最近、動悸がひどい。そこで気になるのが、『救心』である。というか、『救心』のCMである。実を言えば、昔から気になっていた。「責任世代」という単語が。

「責任世代」というのはつまり中年の言い換えである。中年という、肥満とか、禿頭とか、汗かきとか、そういうイメージのつきまとう(個人の感想だけど)言葉を避けて、というか、その中年という言葉にブランド物のコートでも着せるようにして、「責任世代」と言い換える。ちょっとうまい、と思う。

考えてみれば中年の言い換えには「責任世代」以外にも、「熟年」「壮年」「実年」などもあって、いろいろ調べてみると、それぞれが指している年齢層も微妙に違ったり、そもそも定義が曖昧だったりするのだが、ともかくこれらが趣深いのは、すべて「中年」を避けた結果、生まれた言葉だということである。

そんなに嫌かな、中年。そういえば「老人」も、いつの間にか「シニア」「高齢者」というようになった。だから「老人歓迎」と書いてあるとちょっとどきっとする(まあ、どういうシチュエーションで「老人歓迎」と書くのかという話でもあるが)。そうして隔離されている間に、「中年」も悪いイメージを発酵させて、いつかどきっとする言葉になるのだろうか。すでにそうなりつつある、という気もする。


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