カレーというのは、すばらしい食べ物である。なにがすばらしいかといって、「だいたいの場合、美味しい」というのがすばらしい。その辺でふらりと入ったスタンドのカレーもおいしい。自宅で、自分でいい加減に作るカレーもだいたい、おいしい。知らない町の駅前の中華屋で出てくる、ちっとも辛くない、黄色いカレーもおいしい。多くのカレーは、そりゃ少々あれなところもあったりするが、たいていはまあ許せる範囲内に収まっている。
前に一度、江ノ島にある食堂でカレーを頼んだところ、温めたボンカレーを鍋から引き上げる瞬間を目撃してしまったことがあるが、腹は立たなかった。それもボンカレーが、まあ、美味しかったからである。そういえば、通っていた大学の学食はめしがまずいことで有名であったが、カレーはなんとか食えた。
と、このようにカレーというのは相当に懐の深いやつなのだが、しかし、ときおり、「美味しくないカレー」に遭遇することもある。吉祥寺のカレースタンドで出てきた、「飯がどうしようもないぐらいべちゃべちゃのカレー」は、本当にだめだった。あれと出会ったおかげで、「飯がべちゃべちゃだと、カレーの味も分からない」ということが分かった。横須賀名物海軍カレーの某専門店もまずかった。なにしろ、注文してから四十分立っても出てこないのだ。その間、厨房からは男性の怒鳴り声が聞こえ続けている。そしてようやく出てきたカレーはものすごく油っぽく、頑張って食べたあとは半日腹にもたれ続けた。忘れがたい。
一番最近食べた美味しくないカレーは、ルーがライスに比べて、壊滅的に少ないカレーである。普通に食べて行くとルーが不足して、最後は白飯にひと刷毛カレーを塗った、というような状態になる。そうならないように、けちけちやりくりして食べなければならない。味云々以前に、なんというかとても寒々しい、一匙ごとに心が貧しくなるようなカレーであった。
こういうカレーに遭遇すると、めしというのは味や栄養だけではない、豊かさを補給しているのだとしみじみ思い知る。定期的に目の前に現れる美味しくないカレーは、そのことを教えてくれているのかもしれない。