ちょっと前に、「派手な服の人」について書いたとき、枕として、「大阪の商店街には豹柄虎柄縞馬柄のおばちゃんが多数生息し」云々、という話をした。これは嘘ではない。天神橋筋、空堀、千林、どこでもいいが商店街を歩いてみると、かなりの確率で、アニマルな柄のおばちゃんを発見することができる。が、ここでふと立ち止まって考えてみたいのは、他にも派手な服はたくさんあるのに、なぜアニマルか、ということである。
これにはいくつかの説があり、まずは「タイガースファンが多いから」というもの。しかし、大阪だからといって全員が全員タイガースのファンだというわけではないし、タイガースのユニフォームも「虎柄」ではない。
「毛皮の代用品」という説もある。「本当は毛皮を買いたいが、お値段が高いのでその代わりにアニマルな柄を選んでいる」というものだ。が、これはタイガースファン説以上にあやしい。アニマル柄のシャツが、毛皮の代用品になるはずがない、というのは誰が考えてもすぐにわかる。
一見、有力なのが、「大阪の人は派手好きだから」という説である。「派手な服が好きな大阪のおばちゃんたちは、派手なほうへ派手なほうへと進んだ結果、アニマル柄に辿り着いた」説だ。これは一見、説得力があるように思える。ただ、考えて欲しい。「派手」というのは要するに、周囲との差異化である。たとえば、その場の全員が真っ黒な服を着ているような状況で一人赤いものを着ていたら、それは派手だ。が、逆に周囲が全員、真っ赤な服を着ていたらどうだろう。そこでさらに「+1」としての赤を身につけたところで、目立つはずがない。別の言い方をすれば、その場で派手なのは「黒」ということになる。もっと言えば、派手なほうへ派手なほうへと進んだ結果というのなら、アニマル柄で止まるのもおかしな話だ。もっとその先へ、つまりレディ・ガガ的な進化を見せても不思議はない。が、現実として、そうはなっていない。と考えると「大阪の人は派手好きだからアニマル」というのも、もうひとつ説得力に欠ける気がする。
個人的に、一番正解に近いのではないかと感じているのが「都市型迷彩説」である。
あのアニマル柄は、目立つのではなく周囲に溶け込むための手段で、つまり都市だけで機能する迷彩服なのではないかという説である。その観点で、アニマル柄を着用するおばちゃんを観察してみると、気がつくことがある。おばちゃんたちは、身振り手振りも声も大きく、がさつである。パーソナルスペースが極端に狭く、何かあれば「あめちゃん」を賄賂の如く相手の手のひらの中に忍ばせたりする。それは判で押したような、辞書を引けば挿絵になっているような、「大阪のおばちゃん」である。そう、無個性なほどに。もしや、あれは擬態ではないのか。仮に宇宙人が地球に潜伏しようとするなら、ぴかぴかの全身タイツみたいな格好はせず、平均的な地球人を装うだろう。つまり、大阪のレディたちは、「大阪のおばちゃん」という記号を身にまとうことで、様々な難儀から身を避けているのではないか。目立ちたいのではなく、目立ちたくないからこそ、アニマルな柄を選んでいるのではないのか。
そもそもアニマルたちの柄は、群れを大きく見せたり、身を隠したりするために発達したものである。その柄に大阪のおばちゃんたちが吸い寄せられるのはごく自然なことのようにも思える。
ところで、最近商店街を歩いていても、昔ほどアニマルなレディを見かけることはなくなった気がする。もはや、擬態の必要がなくなったということなのだろうか。