1月某日 緊張

 昔から、緊張しやすい性質であった。人前に出て、話をするなどというのは考えるだに鳥肌が立つぐらいの苦手中の苦手で、たとえば、中学校のときにあった、「弁論コンテスト」というようなものが、嫌で嫌で仕方がなかった。そういうとき、その当日に風邪を引くべく、風呂上りにぼんやりして湯冷めするように仕向けた。当然、そんなうまいこと風邪を引くことはなかったので、今度はできるだけ早く終わらせたいからと、俯いたままで棒読みの早口で原稿を読み、その場をやり過ごした。

 しかしなんということでしょう。あまり人と関わりたくないと、ひとりで小説などを書いていたら、なぜか人前に出る機会が増えてしまったのです。人前で挨拶したり、小説のことを話したり、小説の書き方を教えたり、それどころか、自分の小説を喧伝したり、人前で小説を書いたりすら、しているのです。恥辱の極みとはこのこと。

 ところが、人前に出るのは最初こそ緊張したものの、最近ではそうではなくなってきた。笑いを取れなければ「すべった」と思い、後々まで気にしていたこともあったが、「笑いを取るのが仕事ではないので、そもそも、俺のような人間にしゃべらせるやつが悪いので」などと開き直ってしまっている。

 先日もそのように、人前で話す仕事があった。小説の書き方を教える、という仕事である。この教室は去年もやっていて、人数もそれほど多くはないので、特に緊張することもなかった、と自分では思っていた。が、始まる前、時間を確かめようと最近使っているスマートウォッチを見ると、たまたま手が触れたのか、表示が「現在の心拍数」になっていた。そこには120とあった。画面には安静時の心拍数という表示もあって、そちらは65ぐらいである。もちろん、運動などしていたわけではない。「どうしゃべろうかな」などと思いながら、準備していた原稿を見直していただけだ。が、心臓はちょっと運動しているぐらいの速度で、どくどくといっていたのである。

 これは、もしや緊張しているのだろうか、と気付いたのはそのときだ。そういえば、確かに口は渇くし、ちょっと暑いような気もする。人前に出るのに慣れたとはいえ、決して得意になったわけではないのだった。

 緊張を意識したからといって、その日のおしゃべりは上手くいったわけでも、上手くいかなかったわけでもなかった。ただ、中学生だった頃の自分に久しぶりに会ったような、そんな気分になった。


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