【注意!】
自作解説にはネタバレが含まれていることがあります。未読の方はご注意ください!
この本の刊行時、noteにて担当編集者との往復書簡を連載していたので、制作の裏話的なものはほぼ、そこで語りつくしています。興味がある方はそちら(https://note.com/anohi/)をご覧いただくとして、ここでは作品についての極めて個人的な部分や、今改めて思うことなどをお話しようと思います。
この小説で、主人公たちが経験する多くのことは、著者自身が体験したものです。
たとえば私自身、神戸で生まれて、大学進学のときに東京に引っ越しました。その後、再び関西に戻ってきたことも同じです。年齢的にも近いこともあり、彼らが聞いていた音楽や、感じていた世の中の雰囲気、経験した困難について、また、作中で出てくる学校や会社なども、実際に私が通っていた場所をモデルにした点も少なくありません。
かといって、これがいわゆる「自伝的」なものかというと、そうでもない。本当に経験したことも混ざっているものの、ほとんどの部分が創作です。
どこがどうなのかとはいいませんが、「ああ、こういうこと、あるかもね」という部分が創作で、「そんな偶然、ある?」という部分が事実だと思ってもらってさしつかえないでしょう。人生では、ときにそういう不思議が起きるものです。
なお作中で登場人物のひとりは、肉親を失いますが、この本が出る少し前に、私も父を亡くしました。亡くなったときには九十近くで、老衰に近い死だったこともあり、それは悲しいけれど不自然なことではなかったのですが、書いているとき(つまり、まだ父が生きているとき)には、「歳は取っていたものの、まだあと少しは一緒にこの世にいられるのだろうな」と、漫然と考えていました。
けれど、やはり意識の中では、近くにある「死」ということを感じていたのだろうなと思います。こういった予見のようなことは、小説を書いているとわりとよく起こります。あくまでも空想の中のものであるはずだった場面が、それからしばらくして自分の身に起きたり、その結果、「ああ、あのときの彼はこういう気持ちだったのだな」と、改めて確認したり。
不思議なことだと考えることもできますが、心のどこかでは「小説とは、そういうものだろう」と納得することも、少なからずあります。
発売当時は担当者が「十万部売る!」と気炎を上げていたものの、例によってあまり売れることはありませんでした。ただ、この本を気に入ってくださった方もたくさんいらっしゃって、この本がきっかけとなり、多くの人と出会うことができました。行ったことのない地方の書店さんの、店頭に積んである写真を見せていただいたときや、久留米の合同サイン会で、来ていただいたお客様に「書いてくれてありがとう」と言われたときには、ちょっと泣きました。
さらに発売後は、ジュンク堂三宮駅前店で、朝から晩まで短い小説を書き続けるというイベントをやらせてもらいました。そのときには、たくさんの小説家の皆さんが遊びに来てくれました。今まで、同人誌とか、文芸サークルとか、そういうものに所属した経験がなかったので、誰かと一緒に小説を書くというのは、とても新鮮で、楽しかったです。
すごく正直な話をすると、この作品を書いたときは、公私ともに色々な出来事があり、心身ともに疲れきっていました。これまで自信を持って書いたものは少しも評価されず、何を書いていいのか、そもそもまだ書きたいものが自分の中にあるのか分からなくなり、「もう終わりかも」とも思っていました。
それでも、「これがキャリアの最後でも後悔しないように」と、慣れない営業活動にも精を出してみたのですが、それも一向に実らず、やっぱりダメでした、となったとき、「これで小説家としては終わりかな」とも、考えました。
しかし、この本を通じて多くの人に出会うことで、また自分の中に新しい何かが生まれて、これから書くべきことを見つけることができました。
この小説は、水沢秋生の迷走期と、第一期の終わりであると同時に、新しいスタートだと位置づけることができるかもしれません。